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鳥海山に登ってきました

鳥海山に登ってきました

浅野 則明弁護士 浅野 則明

1 「名山と呼ばれるにはいろいろ見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない」

そびえ立つ鳥海山-これは、深田久弥の名著「日本百名山」の冒頭の一節です。鳥海山は、秋田県と山形県の境に位置し、その高さは、新山で2236m、東北では第2位の標高です。形はコニーデ式火山と呼ばれ、見事な円錐形をしていることから、古くから「秋田富士」「出羽富士」として多くの人に親しまれてきました。海岸から垂直に聳えるように一挙に立ち上がり、海岸線から直線距離にしてわずか16kmの地点に頂上があり、近くに同じような高さの山がないことから、その姿はとても雄大です。さらに特徴的なものとして、海面にピラミダルな陰を落とす「影鳥海」の異観が見られると聞いて、一度登ってみようと。ちょうど、この5月下旬に秋田市で自由法曹団の5月集会があることから、ついでに登山してみることにしました。

2 登山コースは、最もポピュラーな象潟口(鉾立)コースを選ぶことにしました。

5月23日(金)に秋田空港からレンタカーで象潟(きさかた)を経て、鳥海ブルーラインから山麓の国民宿舎「大平山荘」に到着し、ここで1泊することにしました。もちろん、鳥海山は日帰りのできる山なので、翌朝早く出発することにしました。夜のお酒は適度にして、10時過ぎには就寝しました。

3 5月24日(土)午前5時過ぎ起床。

雪に埋まった鳥海湖 出発の身支度をして、レンタカーで鉾立(5合目-1150m)のビジターセンターまで行きました。6時に登山開始です。登山道を登り始めるとすぐに、奈曽渓谷の展望台がありました。ここからは、眼下に深く浸食して切れ込んだ奈曽渓谷を見るとともに、見上げると、これから登る鳥海山の新山の頂を正面から捉えることができます。「あそこに登るんだな」と思うと、気が急く思いに駆られてしまいました。

4 御浜から尾根道を辿り、正面に新山(頂上)を仰ぎ見ながら、御田ヶ原を通過すると、やがて七五三掛(しめかけ)という分岐点に着きました。

七高山にてここで、(1)外輪山コースと、(2)千蛇谷コースに分かれています。(2)は雪渓に覆われているので帰り(下り)に通ることにし、外輪山コースを選択しました。これから少し登りか急になり、やっと登山らしくなってきました。文殊岳、伏拝岳(ふしおがみたけ)、行者岳の3つのピークを通過しながら、頂上の新山が段々と近づいてきました。もうここまで来ると、展望はよくなって、周囲360度のパノラマが広がっています。

5 午前10時ちょうどに七高山(しちこうやま-2230m)に到着。

新山(山頂)にて 1等三角点がありました。ここはかつて鳥海山の最高峰であったが、1801年の噴火で新山に6mの差を付けられその座を譲ったとのこと。鳥海山では、この時期、まだスキーを楽しむことができるということで、結構多くの人が反対側の矢島口コースからスキーを担いで登ってきていました。七高山で中休止です。眼前に頂点の新山が見えています。一旦七高山から下って、雪渓の中を新山への登りを辿って、間もなく頂上に到着しました。10時半に到着ですから、約4時間半の登りでした。頂上からの眺めは抜群で、登ってきてよかったと思わずにはいられません。

6 新山頂上での眺めを楽しみ、お昼ごはんを食べると、今度は下りです。

千蛇谷の雪渓を歩く 頂上のすぐ下にある大物忌神社に立ち寄り、下山の安全を祈りました。ここからの下りは、千蛇谷コースの雪渓歩きです。雪の質が柔らかいので、アイゼンもつけることなく、走っておりることもできるくらいです。天気もよくて、雪渓が眩しく反射して、多少は目が痛いのですが、それでも気持ちよく、るんるん気分で下山してきました。登り口の鉾立には午後2時20分に到着しました。

【タイムコース】
6:00鉾立→7:30御浜神社(7合目)→7:55御田ヶ原→8:20七五三掛(外輪山コースヘ)→9:20行者岳→10:00七高山→10:30新山(頂上)着 (昼ごはん)11:40山頂発→11:55大物忌神社→(千蛇谷コース・雪渓歩き)→13:10御田ガ原→13:20御浜神社→14:20鉾立

7 おまけ(象潟・西施考)

下山後、象潟にあるシーサイドホテルに宿泊したのですが、この象潟は松尾芭蕉が「奥の細道」で辿った最北の地です。ここで芭蕉が詠んだ句を覚えておられるでしょうか。

「象潟や 雨に西施が ねぶの花」

影鳥海 この西施(せいし)というのは、中国4代美女のひとりと言われていますが、春秋末期越王勾践が会稽で呉王に破れると、美女西施を呉王夫差に献じ、表向きは夫差に臣従しながら、裏では夫差を骨抜きにする計略でした。計略は的中し、夫差は西施の色香に溺れて国政を疎かにし、20年後勾践の反撃に遭って敗れました。西施はまさに「傾国の美女」であったのです。

救国のためとはいえ、敵国に身を捧げた悲劇的な美女西施を、芭蕉は「松島」に比べて「うらむがごとし」と「象潟」の風景に似通うものとして歌ったものです。雨の象潟に、西施が眠っているような姿で、ねむの花が咲いているということでしょうか。