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英語ペラペラの巻

英語ペラペラの巻

大島 麻子
弁護士 大島 麻子

通算で約2年半英国で暮らしていました、という私の経歴を聞いて、「きっと英語がペラペラに違いない」と思われる方も少なくないでしょう。自分でも、渡英前、そうならないかなあと淡い期待を抱いていました。現実は甘くはありませんでした。

最初の渡英の数年前、配偶者に、無理矢理一緒にトーイックの試験を受けさせられたことがありました。当時から、将来の外国行きを予測し、配偶者は着々と英語を学んでいました。私はといえば、最後に大学で英語を学んでから10数年、全く英語とは無縁。試験の結果は、とても大卒とは思えない悲惨なものでした。鉛筆転がした方が、よっぽどましだったかもしれません。

いざ英国行きが決まったとき、これは何とかしなければ大変だと思いました。が、その直後に妊娠発覚。何ともできないまま、生後3か月の息子を抱えて渡英しました。いや、もう、周りの人が何話しているんだか、さっぱり分かりません。「もしかして、あなたたちは宇宙人ですか?」と聞きたくなりました。

そんな状態で1年が経過し、息子の離乳も完了した頃、大学の12週間の語学コースを受講する機会を得ました。ようやく、ああ、周りにいるのは宇宙人ではなかったのね、と納得しました。が、人間の言葉として聞き取れるまでには至りませんでした。もちろん、ペラペラなど、ほど遠い状態。失意のまま帰国しました。

誤算だったのは、息子です。息子は、英国滞在中に言葉らしきものをつぶやくようになっていました。まだ意味不明だなあと思っていたら、どうも英語だったようなのです。私が語学コースで学んでいた間、息子も保育園で英語を学んでいたとみえます。帰国前日には、「May I have some bread?(パンを戴いてもいいですか?)」と完璧な英国英語で聞いてきて、度肝を抜かされました。わ、私に対して、英語で話しかけるのか、君は? バイリンガルになるかもとの母の期待を裏切り、息子は英語のモノリンガルになったのでした。

2度目の渡英の際、今度こそはと思いつつ、まずは前回同様、大学の12週間の語学コースで学ぶことにしました。が、アラフォーを超えた私には、もう大学で学ぶには無理がありました。一緒に学ぶ日本人学生のパスポートが青色なのを見て、悟りました。彼らとは、おそらく日本語でも話が通じないでしょう。

その後は、ほぼ独学です。息子が学校に行っている間、もっぱらパソコンでテレビ番組を観ることにしました。英国のテレビ番組の多くは、放映後一定の期間はインターネットで自由に視聴することができます。しかも、英語の字幕つき。単に遊んでいるだけともいえますが、せっかく休職しているんだから、それでもいいのです。お金がかからないので、休職中にはぴったりじゃないですか。

さて、今回も誤算だったのが息子です。2度目の渡英時点で、息子はすっかり英語を忘れていました。というより、自分が英語を話していたことを覚えていません。まあ、前回同様、自然に学ぶだろうと思って現地校に通わせたのです。が、数か月たってもいっこうに英語を話しません。さすがに心配して英語の家庭教師をつけたら、あれあれ!? しっかり会話しているではないですか。そう、息子は英語を話せないのではなく、私とは英語を話さないだけだったのです。バイリンガルの子どもは、自然に言語を使い分けるといいます。前回と違い、今度こそバイリンガルの道を歩み始めた息子に、母は使い分けられたのでした。

さて、息子にも見捨てられ、ますますテレビに没頭するしかなかった私ですが、それなりに効果はありました。ペラペラと話すことはできなくても、相手の言っていることを聞き取れるようになったのです。理由はいろいろありますが、それはまた別の機会にでも。

とはいえ、相手から早口でまくしたてられると、もうダメです。もっとゆっくり話してくれ~と思って、はっとしました。実は私はとても早口です。何度か注意を受けてはいたのですが、今度ばかりは本気で反省しました。言葉は、相手に理解されなきゃ意味がないことに、この歳になってようやく気づいたのです。これからは、ゆっくり話そうと決意しました。

帰国後半年が経過し、決意も忘れがちになっています。自分が英語ペラペラでないことを思い出し(実に簡単なことです)、自戒していこうと思います。

「ねっとわーく京都」2014年1月号