弁護士コラム

新採教員の分限免職事件 大阪高裁勝訴

新採教員の分限免職事件 大阪高裁勝訴!

事案の概要

本件は、2004年4月に京都市に新規採用された教員であるTさんが、1年間の条件附採用期間中である2005年2月24日に分限免職処分されたことについて、Tさんが処分の取り消しを求めて提訴して第一審で勝訴後、京都市が控訴していたものです。

提訴後、地裁判決までの状況は、「まきえや」2008年春号「新採の先生をつぶすな~分限免職処分を取り消す画期的な判決~」(藤澤眞美弁護士)で報告したとおりです。

大阪高裁の判決

高裁の審理では、京都市は新たにTさんの同僚だった教員2人の証人尋問を申請しましたが、出廷した同僚がTさんのクラスの状況についてあまり問題を感じていなかった旨供述するなど、分限免職の根拠がないことがさらに明らかになりました。

大阪高裁は、2009年6月4日、京都市の控訴を棄却する判決を下しました。判決は「具体的な事実関係において、<筆者註:分限免職処分が>裁量の範囲内にあるかどうかは、結局、行政処分庁の処分の前提として、職場での教員の指導・評価に当たる管理者等が、条件附採用期間の推移をみても当該教員が教員としての適格性を欠き、職務の円滑な遂行に支障を来すといわざるを得ず、それが、今後の、経験、研さんによっても改善される可能性が薄いと判断し、その判断が客観的で合理的なものであることが必要といえる。また、そのためには、被控訴人が新採の教員であることから、職場における適切な指導・支援体制の存在と本人が改善に向けて努力をする機会を付与されたこと、ある程度の整合的・統一的な評価基準の存在が前提となるといえる(もっとも、これらの点は、具体的な事実関係に照らした総合判断的要素の面がある。)。その場合、個々の事象の評価に過度に拘るのではなく、一定の時間の経緯の中で評価すべきであり、また、教員の児童に対する指導方法については、裁量的な余地があることは否定できないから、主観的な評価の入る余地のある出来事を評価対象とすることはできるだけ避け、できる限り客観的で安定した方針の下で、今後の経験、研さんによっても、教員としての適性が備わることが困難であるかどうかを検討するのが相当である。」と述べました。

大阪高裁は、その上で、本件について「児童や保護者らが被控訴人に対する信頼を失ったとすれば、その一因は、管理職や学校の被控訴人に対する態度にもあり、学級崩壊の原因も被控訴人の能力不足が主たる原因であるとは即断できず、管理職らの指導・支援体制も必ずしも十分でなかったなどの事情からすれば、被控訴人には簡単には強制することのできない持続性を有する資質、能力、性格等に起因してその職務の円滑な遂行に支障を生ずる高度の蓋然性があるとはいえないし、管理職等の被控訴人に対する評価が客観的に合理性を有する者か疑わしいと<筆者註:原判決は>判断したものであり、前提となる事実関係の認定評価として是認できる。」としました。

大阪高裁判決の評価

昨今、教員の働き過ぎ、過労死、うつ病等の疾病よる休職等が社会問題化しています。新採教員もすさまじい過労状態におかれ、十分な教育実践もままならず、なかには精神疾患を患う中で、教育委員会の恣意的な評価によって「不適格」の烙印を押され、「依願退職(という名の退職強要)」したり分限免職を受け、教壇を去らなければならない事態が多数発生しています。

大阪高裁判決は、Tさんに対する処分を取り消した地裁判断を維持した点自体で画期的ですが、それだけに留まらない意義を持っています。大阪高裁判決は、新採教員の評価のあり方について、上記の通り、従来の判例よりかなり踏み込んだ判断を行いました。これまで各地の教育委員会が極めて恣意的に行ってきた新採教員に対する評価を厳しく戒め、客観的な基準と継続的な事実評価、経験の蓄積・研さんによる改善可能性の有無の判断を求めたものであり、述べられていることは当たり前のことでありながら、従来の判例と比べれば極めて画期的な判断をしたと言えます。

また、評価の前提として「本人が改善に向けて努力をする機会を付与されたこと」に言及している点も高く評価できます。この考え方を敷衍すれば、新採教員が極めて多量の業務を強いられ、自己研鑽の機会すら奪われている状況で適格性の評価を行ってはならないことにもなり得ます。この判決は新採教員の過労が横行する現状自体に警鐘を鳴らしたものと言えましょう。

弁護団としても、高裁判決を確定させるために最後までがんばる所存です。

(弁護団)
弁護士 村山 晃
弁護士 渡辺輝人
弁護士 岩橋多恵
2009年6月