まきえや

京都の山 標高ベスト10を登る 第2回 峰床山

京都の山 標高ベスト10を登る

第2回 峰床山-高層湿原「八丁平」を抱く京都府下第2峰

今回は京都府下最高峰の皆子山に次ぐ第2峰である峰床山を紹介します。前回紹介した皆子山の約5km北に位置しています。峰床山は標高970.0mで、971.5mの皆子山より、わずかに低いに過ぎませんが、多分皆子山より多くの登山者に親しまれていると思います。その理由は、(1)その東麓に関西では珍しい高層湿原である「八丁平」を擁していること、(2)登山道には、皆子山に比べて谷を渡渉する箇所があまりなく、比較的軽易な山歩きであること、(3)登りは敦賀街道の葛川学校前バス停から登山し、下りは峰定寺(ぶじょうじ) を経て大悲山口バス停、あるいは花背交流の森バス停に下りられること、などが考えられます。

峰床山へのルートは、(1)敦賀街道の葛川学校前から伊賀谷を遡り中村乗越(のっこし) から八丁平を経る東ルート、(2)久多下の町からオグロ谷をつめてオグロ坂峠を経る北コース、(3)花背の大悲山口から寺谷川をつめて俵坂峠を経る西コース、(4)大見町から尾越を通り二ノ谷からフノ坂を登り八丁平を経る南コースの4つがあります。(1)の東ルートから登り、(3)の西ルートを下るコースが最もポピュラーな登山コースとされているので、これを紹介します。

伊賀谷を遡る(東ルートから)

前回の皆子山と同様に、7時45分出町柳発(土日祝のみ8時45分発もある)の朽木行き京都バス(8時44分JR堅田駅発江若バスでもよい)に乗り、葛川学校前バス停で下車します。ここは大津市立葛川小・中学校で「山村留学生募集中」と大きく書いてあります。校舎の北側に伊賀谷があるので、これを沿って林道を遡ることになります。伊賀谷の静かな瀬音を聞きながら、あるいは小鳥のさえずる声を聞きながら、歩きましょう。30分ほどで林道の終点に着きます。右手にモミの木が生えている大岩があります。ここが二俣出合です。コースは右俣へ入ることになります。この大岩の横に丸太を組んだ橋が架けてあるので、これを慎重に渡り、いよいよ登山道に入ります。

二股出合の大岩と丸太橋
二股出合の大岩と丸太橋

すぐにまた右岸に渡渉する丸太橋があるので、これを渡ります。右岸を少し登りながら進むと、再度左岸に丸太を渡した箇所を渡渉します。左岸に沿ってしばらく進むと分岐があります。以前はここに道標があり、左「八丁平(急傾斜)」、右「八丁平」と書いてありましたが、現在は標識がなくなり、杭のみが立っています。左の道は荒れた沢を急登するのでほとんど使われていません。右の道に進みます。少し登りながら沢沿いに進み、3回渡渉して最終的には右岸を進み、谷と分かれると植林帯に入ります。この辺りは迷いやすいところですが、目印のテープがありますので、見落とさないように注意して下さい。間もなく、「←八丁平」や「←峰床山」に進む道を示したプレートが木に架けられているところで左に登っていきます。

峰床山・八丁平の道しるべ(これから樹林帯を登ります)
峰床山・八丁平の道しるべ(これから樹林帯を登ります)

ここからは植林帯の中のジグザグ道の急登を登ります。ちょっとしんどいところですが、頑張って登りましょう。道は一度左にトラバース気味になったところで水場に出合います。登山道はさらに高度を上げていきますが、杉林を抜けているので、途中で振り返ると、比良山系の蓬莱山の姿(よく見ると、びわこバレースキー場のリフトの建物が見えます)を目にすることができます。GWの連休の頃であれば、この辺りでイワウチワやオオイワカガミの花が見つかります。可憐な花は登りのしんどさを癒してくれるでしょう。

可憐なオオイワカガミ(大岩鏡)の花
可憐なオオイワカガミ(大岩鏡)の花

中村乗越から八丁平へ

やがて峠に着きます。ここが「中村乗越(のっこし) 」という峠で、京都と滋賀の府県境となっています。ここには、京都市が作った「入山者の皆様へ」という案内標識が設けられています。この付近は、樹木の様相が変わり、クリやミズナラの自然林が広がっています。この峠は明るく、ここから東方面の展望がきいており、比良連山の主峰である武奈ヶ岳や蓬莱山の姿を見ることができます。

中村乗越から西に少し下ると、遊歩道に出合います。木で作ったベンチがあり、「京都の自然200選・八丁平」の標識柱が立っています。

京都の自然200選「八丁平」
京都の自然200選「八丁平」

また、立派な道標も設置されています。まさに、ここが八丁平です。標高は約800m、面積は約5ha程で周りはクリ、ミズナラなどの広葉樹とスギ、ヒノキなど針葉樹の天然の混交林です。故金久昌業氏の名著「北山の峠(上)」には、次のように紹介されています。

「それは深い山の中にポッカリ開けた周囲八丁あると云われる湿原である。900mの標高をもつ四囲の山々が皆低い丘のように見える。それらの丘のような山襞から流れ出した細流が平に集まって伊賀谷の源流を作っている。その水は夏でも澄み切って冷たく、梅雨の頃にはその水辺に紫のショウブが匂い立つ。周囲の山々は春は新緑に萌え立ち、秋には紅葉に染まる。湿原には水苔が蔽い、ススキ、イヌツゲ、ヒツジグサ等が混成し、その間に老松があちらに1本、こちらに1本と忘れられたように点在している。人は皆高原と云えば信州の洋風な高原を想起するが、八丁平はまさに日本の高原である。日本庭園のあるオリジナルな形かも知れない。」

八丁平は高層湿原と言われていますが、実際には水は中央部にあるのみで、全体的には笹の生い茂った平地という感じです。

クマザサに覆われた八丁平
クマザサに覆われた八丁平

尾瀬のような湿原を想像していると、ちょっと落胆するのではないでしょうか。しかし、2万3000年前から湿地化し、氷河期堆積層をもつことで学術的価値があると言われています。オオミズゴケ、フトヒルムシロ、モウセンゴケ、ヒツジグサなどの湿原特有の植物群落があり、中央部にはカキツバタの群落があります。また、日本で一番小さなトンボ(2cm)と言われる八丁トンボの生息地としても知られているというのですが、実際に八丁トンボを見たことはありません。

昭和44年9月、京都市は左京区北部の山間集落大原尾越町と久多を結ぶ林道建設(市営林道大黒谷線)に着手しました。この林道がまさに八丁平湿原を縦断する計画でした。難工事のため一時中断していましたが、昭和53年10月工事が再開されました。これに対して、北山クラブ(山岳会)の会員を中心に「八丁平を守る会」が結成され、八丁平を林道建設の自然破壊から守る運動が展開されました。京都弁護士会も公害対策・環境保全委員会を中心とした自然環境の保護を訴える運動を展開しました。当時、北山クラブのメンバーで同委員会の中心委員であった故小松誠弁護士が活躍されたと聞いています。こうした長年の運動の結果、平成4年11月、京都市は林道ルートを八丁平から西側に外れるように計画変更を行いました。

八丁平からオグロ坂峠へ

八丁平の周囲には遊歩道が設けられています。ベンチのあるところを右に行っても、左に行っても峰床山に行くことができます。左に行けば、湿原の西側に回り込み、クラガリ谷をつめて峰床山に至ります。今回は、右にとり、湿原東側を通り、オグロ坂峠から峰床山をめざします。湿原の東側の道は「六尺道」と言われているように幅員が1.8mくらいで広く歩きやすい道となっています。

八丁平湿原東側にある六尺道
八丁平湿原東側にある六尺道

途中に「マムシに注意」と書かれた古い立て札がありますが、本当にマムシが出るのでしょうか。六尺道の途中には大きなモミと杉の木があり、途中で湿原の北側を回ってクラガリ谷に至る道もありますが、そのまままっすぐに進みます。道はなだらかに登っていきますが、やがて峠に近づいてきます。峠付近はブナの木がたくさんあります。この峠がオグロ坂峠でお地蔵さんが祀られた祠があります。

オグロ坂峠について、「北山の峠(上)」には次のように書いてあります。「オグロの坂の峠は鎌倉山から峰床山に連なる尾根の低い部分を越す切り通しの峠である。少し開き目のV字型に截然と稜線上からきりこまれている、いかにも峠らしい峠である。広尾根なので切通しの部分が長いが、現代の機械を使って切り開いた車道の切り通しではないだけに殺伐な不自然さはない。長い年月の間に自然にこんな格好になったという感じである。この切り通しの中央には小さな石地蔵が一体石に囲まれて蹲踞している。磨滅していてかなり古いものである。」

もともと、オグロ坂は、小浜と京都を結ぶ鯖街道のひとつである、根来峠・針畑越ルート(小浜-遠敷-上根来-小入谷-久多-オグロ坂-大見-鞍馬-京都)にあります。毎年5月に「鯖街道マラニック」という、小浜をスタートし、出町商店街ゴールの全長約80km(最高標高871m根来坂峠)のマラソンがあるそうですが、オグロ坂峠から八丁平の六尺道を走るとか。何ともアップダウンの激しいマラソンです。

ここで少し歴史に言及すると、このオグロ坂から八丁平を通って都に逃げ延びた戦国武将がいます。徳川家康でした。1570年4月信長・家康連合軍は、越前国の朝倉義景領に数万の大軍をもって侵攻し、朝倉氏の城を次々と落城させ、金ヶ崎城も下します。もはや朝倉本拠の一乗谷城は目前でしたが、盟友の浅井長政が突然裏切り、織田・徳川軍は越前と北近江からの挟撃という大変な危機に見舞われました。お市の方が両端を紐で結んだ小豆袋を信長に送り、長政の裏切りを知らせたと言います。信長は近江豪族の朽木元綱の協力もあり、越前敦賀から朽木を越えて、命からがら京へ逃げ延びました。その殿(しんがり)を務めたのは家康で、供はわずか十人程度であったと言います。鞍馬に帰着したというのですから、おそらく、久多-オグロ坂峠-八丁平-フジ谷峠-尾越-大見-鞍馬というルートを経て都に逃げ帰ったのでしょう。敗軍の殿を務めた家康が、重い甲冑を身にまとい、蕭々として八丁平を通過していった光景が目に浮かぶようです。

家康が逃げ延びたというオグロ坂峠-峠中央に祠が見えます
家康が逃げ延びたというオグロ坂峠-峠中央に祠が見えます

オグロ坂峠から峰床山へ

オグロ坂峠は四叉路になっています。北にオグロ谷を下れば久多下の町へ、北東の尾根を行けば鎌倉山へ、西の尾根を登ると峰床山に至ります。峠のお地蔵さんにお参りして、西の尾根に取り付きます。この尾根は雑木林に覆われており、次第に高度を増して行きます。一本道なので迷うことはありません。少し坂がきつくなったと思う頃、峰床山の山頂に着きます。

峰床山山頂は10m四方の広場になっていて、ベンチもおかれているので、ちょうど昼食にはもってこいの場所です。展望もまずまずで、東北方面を除いては開けています。東には、比良連山が鎮座し、北には由良川源流の三国岳、天狗峠、小野村割岳が見え、西には丹波高原の山々が連なり、南には雲取山など花背の山々が見渡せます。ここには、明治21年11月17日に埋標された二等三角点(点名は久多村II)があります。

峰床山の二等三角点
峰床山の二等三角点

山頂からの眺望を暫し楽しんだら、下山にかかります。下山は南の尾根を下ります。10分ほど行くと、T字型の鞍部に出ますが、ここが八丁平湿原の西回りのクラガリ谷からコースが出合うところです。そして、向かいの尾根を20mほど登るとぱっと南側に視界が開けます。間近に皆子山を望むことができますが、同時に先ほど紹介した林道がくねくねと登ってきているのが見えます。この林道を車で上ってくると、八丁平や峰床山にはあっという間に着くことができるのでしょうが、何とも言えない痛々しい思いが込み上げてきます。

大悲山・峰定寺に下りる

展望のよい場所からは、右手の尾根伝いに下っていきます。途中にシャクナゲが点在しています。GWの頃にはシャクナゲが咲き誇っていることでしょう。途中で林道を横切ります。この林道が先ほど紹介した八丁平湿原を西側に迂回して久多に通じる林道です。林道を横切って、さらに下ると十字路に出ます。ここが俵坂峠です。ここから東に行くと、フノ坂を経て八丁平に戻ります。南へ下ると、こもれびの森を経て、花背交流の森(バス停)に至ります。ここでは「右:花背・大悲山」の標識に従って進みます。クリやミズナラの樹林帯を下って、また林道を横切りますが、そのまま進むと、やがて道はジグザグになり、ナメラ谷林道に出合います。ここからは林道を歩くことになります。もし、時間があれば、キャンプ場手前の林道を左に入り、三本杉に立ち寄ってもよいでしょう(往復40分)。さらに林道を歩いて行くと、大悲山峰定寺の山門に出ます。

峰定寺は、平安時代の末、鳥羽法皇の勅願によって観空が三間堂を建立し、十一面千手観音菩薩像を安置したのが始まりだと言います。境内は鬱蒼とした老杉に囲まれ、山中は屏風岩・獅子岩などの奇岩がそそり立ち、その険しい山上から修験者の行場となっています。周囲は自然の宝庫で、春は山桜やスイセン、シャクナゲ、シャガ、ツツジが順に咲きそろい、秋の紅葉も美しく、常照皇寺と並んで隠れたる名所を言われています。境内付近を流れる寺谷川は、淵が青く輝く清流でアマゴや鮎がよく釣れると言います。山門にある「美山荘」は摘草料理で有名ですが、宿泊料金が高いのが玉に瑕です。ここから大悲山口バス停までは30分ほどです。時間があれば、途中に「桂雅堂」というお店があるので、あまご塩焼きや造り、山菜そば、あまごそばなどを食して休憩するのもよいでしょう。

大悲山口バス停からは、14:40、15:40(土日祝のみ)、19:20の出町柳行き京都バスがあります。途中、鞍馬温泉で下車して一風呂浴びると最高でしょう。

冬の峰床山は難関

無雪期の峰床山はそれほど難なく登ることができます。しかし、12月下旬から3月初旬にかけての積雪期にはかなり苦労します。

雪に埋もれた八丁平
雪に埋もれた八丁平

私も、これまで3回チャレンジしたのですが、いずれも峰床山の山頂を踏むことができていません。ひとつは、雪があるときは、視界がまるで違って見え、ルートファインディングが難しいのです。二俣出合から中村乗越に至るまでの間でルートを失い、分からない尾根を歩き、悪戦苦闘の末、引き返したことや、ようやく中村乗越に到着しても午後2時で引き返さざるを得なかったことがあります。さらに、中村乗越からクラガリ谷をつめようとして違う尾根に出て引き返し、やっとオグロ坂峠着いたら午後2時であきらめたこともあります。峰床山に登るには、やはりGWあたりがベストだと思います。

【コースタイム】
葛川学校前→(30分)二股分岐→(80分)中村乗越→(5分)→八丁平(15分)オグロ坂峠→(40分)▲峰床山→(40分)俵坂峠→(60分)峰定寺→(30分)大悲山バス停

これまでの登山履歴

(1) 2002.5.25 葛川学校前-二俣出合-中村乗越-八丁平-オグロ坂峠-峰床山-俵坂峠-峰定寺-大悲山口
(2) 2002.6.1 葛川学校前-二俣出合-中村乗越-八丁平-オグロ坂峠-峰床山-俵坂峠-峰定寺-大悲山口(弁護士会ハイキング)
(3) 2005.1.3 葛川学校前-二俣出合-中村乗越-二俣出合-葛川学校前
(4) 2005.3.13 葛川学校前-二俣出合-(道ロスト)-二俣出合-葛川学校前
(5) 2005.5.4 葛川学校前-二俣出合-中村乗越-八丁平-クラガリ谷-峰床山-オグロ坂峠-鎌倉山-ぶな平-坊村
(6) 2006.3.11 葛川学校前-二俣出合-中村乗越-八丁平-オグロ坂峠-八丁平-中村乗越-二俣出合-葛川学校前
「まきえや」2006年秋号