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相次ぐ若者の過労死裁判の提訴

[事件報告]

相次ぐ若者の過労死裁判の提訴 無くせ過労死!

渡辺輝人弁護士 渡辺輝人

中田衛一さん過労死事件

(1)中田衛一さんの横顔

亡くなられた被害者の中田衛一さんは1978年生まれ。ご存命なら今年で29歳。筆者と同年の青年でした。中田さんは高校を卒業後、1997年4月にサッシやドアなどの製造販売を行うトステム株式会社の子会社であるトステム綾部株式会社に正社員として就職し、「DSジャストカットライン」という部署で、受注生産の木製の窓の枠組みを作っていました。

(2)過労死に至った仕事の現状

トステム綾部入社以後、中田さんは過酷な労働環境の中に置かれていきました。職場は夏は暑く冬は寒い上、夕方5時以降は冷暖房が切られてしまい、また、仕事場は木を切った時に出る切り粉が常時舞っている状態でした。中田さんは、このような環境の下、長時間の立ちっぱなしで休憩や仮眠も満足に取れない状況で連日午前0時を過ぎるまで働いていました。

また、DSジャストカットラインは受注生産ラインであるため、受注した窓枠すべてを製造するまで仕事が終わりませんでした。しかし会社は正社員を増やすのではなく、派遣労働者を職場に増やしていきました。派遣社員は作業に熟練していないためフォローが必要な上、定時になると(当然の権利ですが)仕事を切り上げるので、あとは正社員だけが残業をしてその日のノルマを達成しなければなりませんでした。このようなきつい仕事の中で正社員の退社が相次ぎ、その分派遣社員が増え、正社員である中田さんの負担はますます大きくなっていきました。

2000年9月からは夜勤が導入されて2交代制になり、2001年3月からは日勤と深夜勤(午後20時30分始業、5時20分終業)の2交代制での勤務となりましたが、中田さんの業務量が改善されることはなく、むしろ、夜勤から昼勤への転換、またその逆の転換など人間の生理に反する労働形態が付加されたため、中田さんの身体的負荷はさらに重くなっていきました。

ご両親の記憶に基づき、中田さんの帰宅時間を元に復元した記録よると、中田さんの死亡直前1ヶ月の残業時間は139時間20分にもなりました。

度重なる残業の末、家族でも「そんな働き方をしていたら過労死するで」と言っていた矢先の2001年6月16日、中田さんは夜勤明けで午前6時半頃に帰宅し、入浴もせずに就寝した後夕方に母親が起こしに行くと、すでに意識がない状態で、午後6時30分に死亡が確認されました。22歳の若さでした。

(3)提訴

トステム綾部は労働時間管理にタイムカードを使用しておらず、「ラインリーダー」と呼ばれる現場責任者の申告により各労働者の労働時間を把握していましたが、申告される残業は現場労働者の実感より2、3割少ないものでした。このように、トステム綾部が労働時間を管理していなかったことも一因となり、中田さんの労働時間や労働環境が正しく把握されなかったため、労災申請は認められず、審査請求も却下されました。

そこで、中田さんのご両親の熱意に応え、自由法曹団京都支部で6人の弁護士が弁護団を結成し、当事務所からも審査請求段階から本件に関わっていた村山晃弁護士に加え、筆者が参加しました。そして、今年の6月12日、京都地方裁判所福知山支部に対し、トステム綾部に対して中田さんへの安全配慮義務違反を問う損害賠償請求訴訟を提訴し、すでに第2回弁論まで行われました。提訴の事実はマスコミでも報道され、若者が過労死しなければならない社会の現状に関心や批判が高まっていることを表していました。原告である中田さんのご両親は、第1回弁論において陳述をされ、「22年間一緒に過ごして来た、大切なかけがえのない息子を、手を握ってみてやることもなく、突然に奪われる家族の気持ちは、本当に無念でなりません。しかし、会社側は一言の謝罪も説明もなく、終わらせようとしました。」と述べられました。この訴訟の核心を端的に表した一言です。

岩田謙吾さん過労死事件

(1)突然の死

亡くなられた被害者の岩田謙吾さんも1978年生まれ。やはりご存命なら今年で29歳になったはずの青年でした。岩田さんは株式会社明治屋「京都三條ストアー」の鮮魚部門で働いていましたが、2005年4月8日午前4時頃、急性心機能不全により27歳の若さで死亡しました。

2005年3月1日から4月7日まで、死亡前約1ヶ月間の岩田さんの一日の労働時間は、ほとんど13時間台、特に3月一ヶ月の労働時間は、3月4日に亡くなった祖母の通夜・告別式などで時間短縮したにもかかわらず、316時間にも上りました。

岩田さんは、健康診断の結果でも、特に問題とされるべき疾病はなく、タバコも吸わず、飲酒の習慣もなく、その死は、明らかに過労によるものでした。

(2)常態化した長時間労働

岩田さんの長時間労働は、死亡半年以前から常態化しており、2004年10月から2005年3月までの月平均の労働時間は290時間を超えていました。特に月末の棚卸しの時などは、必ずといってよいほど退勤が遅くなり、一日の勤務時間は13時間を優に超え、15時間近く拘束されていました。

人手不足のため、岩田さんに業務が集中していたためか、休日であっても出勤を余儀なくされ、死亡前の3月1日から4月7日までの38日間では、わずか2回の休日しか取れていませんでした。

(3)労災認定

一人息子を失った遺族(ご両親)は、労災申請を行いました。母親によれば、申請を決意したきっかけは、「息子さんは勝手に亡くなった」という社員の言葉だったといいます。

京都上労働基準監督署は、2005年11月2日、業務上災害を認定しました。その中で、時間外労働の異常やマイナス25度の冷凍庫に出入りする作業環境にあったことが指摘され、短期的にも長期的にも過重労働に従事していたことが、死亡の原因であるとする、地方労災委員協議会の意見が出されました。長時間労働の認定には、会社のタイムカード以外に、お母さんが、毎日、岩田さんの出退勤の時間を記録していたことが役立ちました。

(4)刑事処分

岩田さんのご両親は、明治屋の労働基準法違反についても、2005年8月、京都上労基署に対し、会社、会社代表者、当時の京都三條ストアーの店長を、告発しました。店長が東京に転勤となり、事件は、東京地検に移送されました。

2007年6月20日、会社(法人)と店長が労働基準法32条に違反により、略式起訴され、同年7月19日、それぞれ30万円の罰金刑が確定しました。

過労死事案において、労働基準法違反での刑事罰が認められるのは、珍しいことです。それだけ、明治屋における長時間労働・労働基準法違反の程度が大きかったということになります。

(5)提訴

この間、ご両親は、会社に対して、安全配慮義務違反による賠償を求めて交渉を行ってきました。しかし、会社は、岩田さんの死についての責任を端的に認めるに至りませんでした。

そこでご両親は、2007年8月24日、京都地裁に、会社に対する損害賠償請求訴訟を提起しました。当事務所の村山晃弁護士、糸瀬美保弁護士、筆者の3人で弁護団を担当しています。ご両親の願いは、会社に岩田さんの死に対する責任を認め、謝罪してほしいということ、そして、二度と同じような悲劇を起こさないようにしてほしいということです。

提訴当日は、中田労災と同様に新聞・テレビなど多くの報道機関が注目し、報道がされました。

岩田労災事件記者会見
岩田労災事件記者会見

両訴訟の意義

(1)会社に説明をさせ、責任を認めさせ、謝罪をさせること

訴訟に臨むご遺族(原告)の思いは共通しています。会社に被害者の死因を明らかにさせるとともに、会社がその責任を認め、謝罪することです。全てはここから始まります。

(2)再発防止措置

「二度と過労死事件が起こって欲しくない」という思いもご遺族に共通のものです。二つめの意義は、会社の社会的責任を明確にさせ、二度と同じ事が起きないような再発防止措置を取らせることです。再発防止策をとるということは、過労状態に置かれている若者の職場環境の改善や、労働時間の正確な把握など、労働環境の改善をも意味しており、働く人たちの権利確保のための大きな意義を持ちます。労働時間が正確に把握されている職場で過労死が発生すれば会社の責任は明白です。労働時間の把握は過労死防止の第一歩だと思います。しかし、両訴訟ではいずれも会社が被害者の労働時間を正確に把握していませんでした。このように労働時間の把握が杜撰だった結果、過労死を発生させた会社が免責されることを断じて許してはならないと思います。

(3)若い人たちの労働環境を是正する機会にしたい

そしてもう一つの特徴は、人件費が抑制され、数少ない正社員と多数の非正規従業員が働く職場環境の中で、非正規の従業員は不安定な労働環境に置かれる一方、正社員には非正規従業員ではカバーしきれない責任を伴う多量の業務が集中し、過労死するまで働き続けなければならない、という現代の若者が置かれている労働環境を象徴している事だと思います。両訴訟の意義は、このような若者の労働実態を社会に告発し、その是正をすすめる機会となりえる点にあると思います。

実際、中田さんの事件では、福知山市と京都市を中心にそれぞれ訴訟の支援団体が結成され、若者を中心とした裁判傍聴などの取り組みが始まっています。筆者も京都市の支援団体の副会長を仰せつかりました。沢山の(特に同年代の人)に事件を伝え、運動を広めていきたい、と思っています。

(4)ご支援を!

会社の中で日々起こった出来事(労働時間、労働実態等)をどうやって把握するのかが争点になっています。被災当時の職場内の状況が鮮明になるほど、訴訟の勝利につながっていきます。そのためには、当時の職場環境を知っている方を出来うる限り集めるとともに沢山の方の法廷傍聴によって裁判所に訴訟の社会的意義を理解してもらうことが大切です。みなさまのご支援をお願いいたします。

「まきえや」2007年秋号