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「改正」教育基本法のゆくえ 変わっていない部分にしっかり依拠してよりよい教育を

「改正」教育基本法のゆくえ 変わっていない部分にしっかり依拠してよりよい教育を

村山 晃弁護士 村山 晃

はじめに

昨年12月、教育の憲法と言うべき教育基本法が、十分な審議を経ないまま、改悪させられました。そして、その改悪を受けて、政府・与党は教育関係法を次々と変えていっています。

今、ここでお話したいことは、どっこい、教育基本法は残っているということについてです。

教育基本法の改悪は、それを狙う勢力が何十年もの労力を費やしてきました。それに対し、私たちは、それ以上の取り組みをして、改悪を阻止してきました。そうした取り組みが反映し、今回、改悪はされたものの、その改悪の中身は、改悪派が、当初企図していたものを、大幅に後退させるものになっています。さらに言えば、今回の闘いそのものが、成立した法律の濫用を阻止する力を培ってきたということです。

改悪法案は成立しましたが、教育関係者の中では反対意見が多数を占めるようになっていました。文科省は、やらせタウンミーティングのような姑息な手段を使ってでしか、改悪を成立させることは出来なかったのです。ですから、成立はしたものの、新しい法律は、傷だらけです。改悪内容の持つ説得力は極めて弱いのです。

少し難しい用語を使いますが、教育というのは、本来「法律」で押しつけるものではなく、「条理」が生きる世界です。その根本にある「教育の条理」が変えられたわけではありません。文科省も、この間の国会審議の中で、これまでの教育基本法が持つ、世界にも誇れる輝きについては、まったく否定することはできませんでした。

私たちは、改悪された現時点に立って、何が変わり、何が変わらなかったのかをきちんと分析しなければなりません。そして、変わらなかった点については、これを積極的に活用し、さらに発展させていくための取り組みが必要です。また、残念ながら変えられた点については、その影響を最小限のものに押しとどめる工夫と闘いが必要です。

改悪されても、変えることができなかった点

先ず、改悪されたにもかかわらず、変えることが出来なかった点として、次の4つをあげることができます。

  • (1) これまでの基本法の理念は変わっていない
  • (2) 「憲法の精神に則り」解釈・運用される
  • (3) 教員の身分保障は奪えない
  • (4) 教育への不当な支配は禁止

第1に、文科省をはじめ、立法提案者が、「これまでの教育基本法の普遍的理念を大切にしている」「これまでの教育基本法のすばらしい理念を継承する」と述べ、これまでの教育基本法が、積極的に評価されるべき法律であったことを認めるところからスタートせざるを得なかったことです。そして成立した条項の随所に、これまで教育基本法が基本理念としてきたことがらを明文の形で残していることです。

改めて述べるまでもなく、教育基本法は、個人の尊厳に立脚し、教育が人格の完成を目的にしてなされるものであることを基本にしています。今後も、教育基本法や、今後改正される法律は、こうした基本的理念に立脚して、解釈・運用されなければならないのです。

国を愛する態度、道徳心、公共の精神、伝統の尊重などという言葉が今回新たに法律の中に書き込まれましたが、こうした言葉も、この基本理念に反して濫用されてはならないのです。

第2に、「改正」法は、「(現在の)憲法の精神にのっとり」制定されたものであることを、明文で示しました。現在の憲法は、徹底した平和主義と、幸福追求する権利を始めとする個人の尊重を基本に据えており、国家主義的教育や、偏狭なナショナリズムを排斥し、学問の自由・教育の自由を基本に据えたもので、この憲法の精神にのっとって「改正」教育基本法は、解釈され運用されなければならないことが確認されたのです。

そういう意味も含めて、今回の改悪を憲法改悪の地ならしとさせるのではなく、憲法を守ることが、「改正」教育基本法の暴走を阻止することになることを、私たちは改めて銘記しなければなりません。

第3に、教員の身分保障の重要性が、改めて確認されたことです。新しい条文通り「教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならない」のです。今の教育行政の、「指導力不足」教員問題への強権的対応や、青天井の超過時間勤務問題など、明らかにこの条項に抵触しています。他の文言が加わったからと言って、この条項がきちんと残されたことの重要性はいささかも揺るぐものではありません。

第4に、「教育への不当な支配の排除」をきちんと文言で残したことです。一時は、「教育行政への不当な支配の排除」という条文にしようとしていました。しかし、教育行政への不当な支配だけが問題なのではなく(もちろん、それ自体も重大な問題ですが)、「教育への不当な支配」とされたことで、これまでから問題になっていた国や地方の教育行政による教育への不当な支配も、当然問題とされることとなっているのです。

今後、国会は、いろんな法律を作っていくこととなりますが、「教育への不当な支配を行わない」と言う枠組みを堅持しないといけないのです。法律で好きなようにできるわけではないのです。

国は、「機会均等」や「教育水準」について、制度整備を行うことが定められており、決して国家主義的教育が容認された内容にはなっていない点に私たちは留意する必要があります。

今後の動きを押しとどめる必要がある点

このように見てくると、今後の課題も明白となってきます。

第1に、次に自民党が狙っている憲法の改正を、何としても押しとどめないといけません。現在の憲法がしっかりとしている限り、「それにのっとって」行われる教育は、決して国家主義的なものにしてはならないからです。

第2に、「教育の目標」で持ち込まれてきた危ない文言―国を愛する態度、道徳心、公共の精神、伝統の尊重などについて、拡大解釈に歯止めをかけていかないといけません。これらはいずれも抽象的な文言であり、内容が定まっているわけではありません。何を道徳というのかについても種々意見があります。伝統と呼ばれるものについても、例えば「武士道」のような差別社会を前提にして生まれてきたものや「神道」のような思想信条の自由を損なう非科学的なものを、手放しで評価し、一定の価値観を「教育」の名の下に押しつけるようなことは、明らかに現在の憲法の理念に抵触します。また、そもそも教育の条理にも反しますし、教育基本法の精神とも抵触します。

「学習指導要領」などを通して、一定の価値観を押しつけようとする動きに機敏に反撃していくことが強く求められています。

個々の条項の解釈についても、先の憲法の理念をはじめ、個人の尊厳や人格の完成という言葉の持つ重さ、さらには、数々の国際条約などをしっかりと取り込んで、国家主義的なものを持ち込まさない、特定の価値観を持ち込まさない取り組みがこれから必要となってくるし、十分可能な取り組みなのです。

第3に、新たな法律の制定・改正や、教育振興計画の制定が、これからの教育の中身を実際決めていくこととなります。そういう意味では、こうした法律の制定・改訂、計画の作成などへの国民的な闘いが不可欠です。

第4に、今までから闘いの主戦場は教育現場でした。これまでの教育行政は、教育基本法を無視し、実質的にそれを蹂躙する形で進行を計ってきました。今後は、教育基本法の改悪された都合の良いところだけを取り出して、一層、露骨な教育行政を展開してくることと思われます。

私たちは、これまで国の内外で培ってきた教育のあり方を守りぬいて、国民的な、いや世界的な論議を呼び起こして、これまでの教育基本法が目指してきたことを、私たちの血肉として、日常的な闘いを推し進めなければなりません。

教育基本法を本当に生かすのは、これからが正念場です。

「まきえや」2007年春号