まきえや

半鐘山開発問題が計画大幅縮小で全面解決 -世界遺産銀閣寺バッファゾーンの保全

[事件報告]

半鐘山開発問題が計画大幅縮小で全面解決 -世界遺産銀閣寺バッファゾーンの保全

勝利和解の内容

半鐘山開発問題が、計画大幅縮小で全面解決をみました。ほぼ住民側の要求が満たされたため、2006年12月26日、業者側との和解成立に至ったものです。

和解内容の概要は次の通りです。(1)宅地面積は当初計画の約半分(中央部分のみ)に、区画数を13区画から5区画に限定する、(2)山の周囲(約3分の1)は掘削せず植樹して京都市に寄付し、回りから見れば山が回復した状態にする、(3)搬出土砂を半減させる、(4)解決金の支払い、(5)今後の開発工事の監理は業者側の費用で住民側の指定した専門家に依頼する、(6)住居専用に限定し、周辺の風致景観との合致を含めた建築協定付で販売する、(7)業者側は住民側に謝罪する。

これまでの経過

(1) 半鐘山は銀閣寺道から北東に入った白川と閑静な住宅地に囲まれたところにある1000坪程の里山で、東山36峰の一つ、西方山の通称です。以前は銀閣寺(慈照寺)の寺領で、東山の先端部分に位置し、歴史的風土保全区域、風致地区第2種地域に指定されていますが、市街化区域、第1種低層住居専用地域のため、法的には開発が可能でした。

(2) 業者による開発計画は、山を全面的に削り、13戸の住宅を開発し、白川に橋を架けて、進入道路とするもので、市議会での緑地保全の請願採択にもかかわらず、京都市長は2001年3月に開発許可を与えてしまいました。

(3) 計画は、山沿いの隣接家屋の安全性の問題、車両通行問題に加え、世界遺産・銀閣寺(慈照寺)に近接するバッファゾーン(緩衝地帯)の景観を破壊する行為でもあることから、世界遺産条約違反でもあるとして、ユネスコ世界遺産センター(パリ)へ勧告を求める要請(2002年9月)も行なうなど、保全を求めた多様な運動が展開されました。この要請を受けて、ユネスコ世界遺産センター所長バンダリン氏は、日本政府に、「半鐘山は歴史的山地である東山から降りてくる丘陵部の先端部である。世界遺産センターとしては、開発許可が出された事実に対し驚愕せざるをえない。」との書簡を出しています。

(4) 法的手段としては、住民(半鐘山と北白川を守る会。岡村芳郎、尾西利男共同代表)、弁護団(8名。当事務所は飯田〔団長〕、奥村)は国土問題研究会など専門家の援助を得て、(1)開発許可取消審査請求及び取消訴訟、(2)架橋工事による被害に対する損害賠償請求訴訟に取り組んできましたが、業者が本格的な開発工事を強行する構えをみせたため、03年8月には開発工事差止め仮処分を申立てました。

抗議行動の中で、工事施工業者は撤退し、仮処分申請の審理は時間をかけて行われていましたが、同年12月9日、業者は残された半鐘山の樹木を予告無く突然伐採するという暴挙に出ました。

(5) 同年12月18日、京都地方裁判所第5民事部(永井ユタカ裁判長)は、崖上、崖下になる3軒につき、開発工事の続行により家屋が重大な変形、損傷を受けるおそれがあることを認め、建物所有権を被保全権利として「債務者らは、自ら及び第三者をして、半鐘山の形質の変更(樹木の伐採・枝打ちを含む)を行ってはならない」との、仮処分決定をくだしました。

樹木の伐採を含め、全体として工事を差し止める必要があるとするもので、開発許可を受けた開発工事を樹木の伐採を含め全面的に差し止めを認めたという点で、裁判所の仮処分決定例としては、画期的なものでした。

業者側はこれに対し、保全異議、さらには保全抗告(大阪高裁)を申立てましたが、いずれも却下されています。

全面解決へ

住民側は、業者側の起訴命令を受けて、2004年1月23日には、差止め本案訴訟を提訴し、既に係属している業者に対する損害賠償訴訟及び行政訴訟と併合、平行して審理されました。

裁判はその後、2004年夏から05年春にかけて半鐘山の地盤、地質の詳細な調査をおこなった国土問題研究会の専門家証人志岐常正氏、奥西一夫氏(共に京都大学防災研究所教授)、実務家の幸陶一氏の証人尋問及び原告本人尋問が行われ、最終盤を迎えていました。他方、05年夏以降は、大幅に開発規模を縮小した全面解決へ向けた住民側と業者側の和解協議が訴訟内外でねばり強く続けられた結果、冒頭の勝利和解に至ったものです。

意義

上記和解成立により、当初の計画は取下げられるに至ったため、開発許可取消訴訟は当初の開発許可が取消されたのと同様の状態になることから同日の「取下げ弁論」をもって終結しました。下記は取下げ弁論の「最後に」の部分です。

住民側が本来京都市に求めてきたのは、京都市が半鐘山全体を取得して恒久的に保全・再生を図ることにより、本件を全面解決させることであった。また京都市は、(1)本件和解の当事者となること、(2)住民側に対して、当初の開発計画を認めたことについて謝罪の意を表明することのいずれも拒否した。これらのことからすれば、今般の解決にはなお不十分な部分があり、この点は極めて遺憾である。

しかしながら、京都市は今般新景観政策を立案し、そこにおいて、(1)風致地区制度及び自然風景保全条例の拡大・強化(特に、市域全体についてダウンゾーニング)を図るとともに、(2)世界遺産周辺(500メートル)の眺望景観保全策を打ち出すに至った。

京都市をして、このように、良好な景観形成に向けて従来の施策を大きく転換することを決意させ得たのは、まぎれもなく、本件開発行為について、開発審査および本件訴訟を通じて、地域住民が、長年に亘って粘り強く良好な住環境と景観の保全を訴え続け、これに呼応したユネスコ世界遺産センターが、わが国に対して世界遺産の保全を要請したことの偉大な結実に他ならない。

この点において本件訴訟は、京都の住環境並びに景観保全にとって、歴史的意義を有するものであると評価することができる。

このように、(1)業者をして当初の開発許可を取り下げさせることができたことから、実質的に開発許可が取り消されたのと同様に、原告勝訴の状況を勝ち得たこと、(2)京都市も、謝罪の言葉こそないものの、政策転換によって従来の政策の誤りないし不十分さを認めたと評価することができることから、原告らはいずれも所期の目的を達したものとして、本件訴訟を取り下げることとするものである。

その後、樹木が伐採されたが、和解により回復されることになった。

「まきえや」2007年春号