まきえや

日本弁護士連合会副会長任期を終えて

日本弁護士連合会副会長任期を終えて

この1年間、日弁連副会長として頑張ってきました

この1年間は、すっかりご無沙汰をいたしました。大半は東京にいて、時に全国に飛んでいました。

新たな「仕込み」ができました。2009年4月から事務所での仕事に完全復帰です。

日弁連での活動は、大変勉強になりました。法律の世界も、弁護士の世界も大きく変わってきています。年齢を経ると、経験は蓄積されますが、新しく変化した課題への対応が難しくなってきます。それをどう補うかが、これからの課題です。

そんな時に、大勢の弁護士や各界の方々と知り合い、多くの課題に出会うことができました。そして自分の力を試すこともできました。

弁護士が市民の身近な存在となるために

弁護士の世界が激増期に突入していることは、ご案内のとおりです。私達の時には、年間合格者500人の狭き門でしたが、今は、2,000人を大きく上回っています。若い人たちがドッと押し寄せてくるのです。ユーザーである市民の方々は基本的にウエルカムだと思います。しかし、「問題を抱えた」法律家が増えてきていたら、それは、少し心配です。私の日弁連での仕事の一つは、激増政策に対し、見直しを求めることでした。

でも、困った人の味方になる弁護士は、もっと増えて欲しいのです。これだけ「派遣切り」が社会問題になっているのに、救済を求めて弁護士の門を叩くのは、ごくわずかです。もっと弁護士が身近な存在でなくてはなりません。

そのために「法律扶助」と言う制度もあるのですが、これを拡大して使いやすい制度にすることも、私達の重要な仕事でした。突然解雇され、路頭に放り出された時、「弁護士費用すら支払えない」場合、弁護士に頼むことが難しくなります。今の運用は、立て替え制度です。仮に生活保護を貰っている人でも、毎月返済しないといけないのです。最低限の支給しか受けていないのに、そんなことできるはずがありません。ましてや、生活保護の手続にすらたどり着けていない人は、返す目処が無く、そんな時には、法律扶助を受けられない場合もあるのです。

こんな歪んだ制度は先進国では日本だけです。裁判には国費をかけず、利用しやすいようにはしていないのです。

でも少しずつ運用の改善をはかっています。お金がないと言って泣き寝入りせず、是非、法律扶助の利用も考えて下さい。

人権の擁護・伸張をめざして

人権擁護は、日弁連活動の大きな柱です。私は、ずっと戦後補償問題に関わってきましたが、この間、ちょうど出会ったのが、レッドパージの事件でした。時の壁を超えて、日弁連に人権救済を求めてきたのです。日弁連は、多様な弁護士の集まりです。人権擁護という点では一致しますが、どこまでを射程距離にするのかについてはずいぶんと意見の差があります。その差を埋めていくのも、私の仕事でした。どれだけ古い出来事であっても、奪われた人権の回復のため、日弁連は活動する、そんなスタンスを取ることが求められた事件でした。結局、日弁連が国や企業に人権救済の勧告を出したのです。

私は、改めて、日弁連が人権問題において健在であることを感じることができました。だからこそ、1人でも多くの有意な弁護士が、日弁連に結集して人権活動を強化していってくれるであろうことを期待しています。

おわりに

事務所を離れての活動は、多くの方々にご迷惑をおかけしました。しかし、扶助制度の改革をはじめ、弱い立場の人々が司法を利用できるようにしていくこと、日弁連の人権擁護活動がより一層旺盛になっていくこと、こうしたことに少しでも寄与できたとすれば、それに勝る喜びはありません。

あわせて広く多くの人と繋がって生まれた人の輪は、私自身の仕事の糧であり宝だと確信するものです。

村山弁護士

「まきえや」2009年春号