まきえや

いろいろな「無効」の話

いろいろな「無効」の話

契約書類と有効・無効

法律相談で「お金を貸して借用証を書いてもらいましたが、これで契約が出来ていますか」「サインだけでハンコがないので無効になりませんか」などと質問されることがあります。

日本の法律では、遺言や手形・小切手など所定の書類の作成が必要とされているものを除き、法律上の効果を発生させるために書類の作成は必要ではありません。売買であれば、「売りましょう、買いましょう」という口約束だけで、貸金であれば、お金を貸して返す約束をしてお金を渡すだけで、その内容が明確であれば契約は成立します。

ところが、争いが生じた場合には、明確な契約が出来たことを証明しなければなりません。その場合に、証拠として契約書などの書類が必要となるわけです。書類に署名や印がなくても、証拠として無効となるわけではありませんが、証明力が違ってきます。裁判で、契約書や念書について「本人が書いたものではない」などと争われることがありますが、民事訴訟法は228条4項で「私文書は、本人又は代理人の署名又は押印があるときは真正に(本人の意思にもとづいてという意味です)成立したものと推定する」とした上で「当事者又はその代理人が故意又は重大な過失により真実に反して文書の成立の真正を争ったときは、裁判所は、決定で、十万円以下の過料に処する」(230条)として、不当な争いを防止しています。したがって、相手方の署名・押印のある書類を取っておくと勝訴の確率が高まるのです。逆に、このような書類があっても、その内容が漠然・曖昧な場合には、契約内容が不確定であるとして無効になりますので注意が必要です。

婚姻と離婚の無効

「婚姻届に署名・押印して婚約者に渡した後、やはり結婚できないと思い直して連絡したのに、提出されてしまった」「夫婦間でトラブルになった後、もう一度やり直すことになったが、相手から『同じことを繰り返さない決意として協議離婚届を書いておいてほしい』と言われて書いた。その後、自分は約束を守っているのに、突然提出されてしまった」などのケースがあります。

婚姻や離婚が有効であるためには、婚姻する、離婚するという合意が、届出の時点において存在することが必要です。

相手が提出しようとしていることを事前に察知できた場合は、役所に対し不受理の申出手続をすれば受け付けられませんが、間に合わなかった場合は、戸籍上、婚姻や離婚として扱われます。その場合には、家庭裁判所に婚姻無効・離婚無効の調停を申し立てる必要があります。普通の調停では当事者が合意すれば調停が成立しますが、婚姻無効・離婚無効については、家庭裁判所が必要な調査をし、調停委員の意見を聴いて正当と認めた場合に「合意に相当する審判」をすることになっており、手続が厳格化されています。このような解決が出来ない場合には、婚姻無効・離婚無効の裁判をするしかありません。

なお、婚姻無効の場合、届出後も一緒に暮らしたりしていると、夫婦になることを追認したと判断されることがありますので、注意が必要です。

遺言・贈与・養子縁組などの無効

特に認知症の高齢者について、裁判で激しく争われるケースがあります。主な争点は、(1)本人によって作成されたものか(遺言については、法律の厳格な要件を満たしているか)、(2)本人にその意思があったか、(3)本人に意思能力があったか、(4)内容が不確定でないかです。

遺言の(1)の場合、自分で書く遺言(自筆証書遺言)については、民法968条で、遺言者がその全文、日付及び氏名を自分で書き、印を押さなければならないこと、遺言中の加除その他の変更は、遺言者がその場所を指示し、これを変更したことを付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ効力がないことが定められています。また、夫婦連名の遺言書を時々見かけますが、これは無効です(共同遺言を禁止した民法975条)。

公証人役場で作る公正証書遺言は、原則として(1)の問題は生じませんが、(3)の遺言能力ががなく無効とした裁判例が相当あります。最近では、大阪高裁平成19年4月26日判決が、認知症等で入院中の高齢者のケースで遺言能力を否定して公正証書遺言を無効としています。

(2)と(3)は関連し合った問題です。私が担当した養子縁組無効の事件では、一審の地裁判決は、長々と事実関係を書いた後、本人の意思に基づくものとは認められないから無効(2)としましたが、二審の高裁判決は、養子縁組の意味・効果を理解できる程度の意思能力がなかったから無効(3)と明言しました。裁判所は、端的に能力がないと判断した場合は(3)で扱い、そうとまでは断言できないが、いくらなんでもこれを有効としてはいけないと考えた場合は(2) に導くように苦労しているのではないかと思いました。

いずれにしても、無効を勝ち取るためには、詳細な時系列にもとづく事実整理はもとより、全ての医療機関のカルテや介護保険関係の書類(主治医意見書など)を取寄せた上での分析など、綿密な立証が必要です。上記の高裁事件では、明らかな脳萎縮を示す頭部CT画像が決め手になりました。

注意しなければならないのは、対象となる行為によって意思能力の判断が異なることです。すなわち、同じ日の同じ人について、単純な贈与であれば能力はあり有効だが、複雑な遺言については能力がなく無効という判決があり得るのです。したがって、それがどのような内容であるのかの検討を欠かすことが出来ません。

(4)については、遺言の場合、裁判所は戦前から、可能な限り有効となるように解釈するという立場を取っています。例えば、平成3年の東京地裁判決は、「青桐の木より南方地所は」長男に「譲ル」との遺言について、次男の相続人らが、内容的に土地の確定を欠き無効であるとして争ったケースですが、遺言書が有効であるとし、裁判所が特定した各土地についての登記を命じました。実際の事件では、遺言書の有効・無効の問題にしなくても、「○○には十分なものを渡すように」「○○が安心して暮らせる財産を」などの条項の解釈を巡って激しい対立になり、「どうして、こんな余計な遺言をしてくれたのか」と相続人が嘆くこともありますので、争いの余地のない明確な遺言であることが必要です。

交通事故の示談の無効

「交通事故で怪我をし、後遺障害が残りました。示談交渉で、加害者の任意保険の担当者から、後遺障害の賠償について自賠責保険(強制保険)で認められた金額しか示されなかったので、これしか支払われないのだと思って示談しました。しかし、わだかまりが残ったので、後日、弁護士に相談したところ、自賠責の保険金額以上の賠償請求が可能だったことが判りました。もう示談をしてしまったので、諦めるしかないのでしょうか」

このようなケースで、千葉地裁松戸支部平成13年3月27日判決は、示談を無効としました。同判決は、保険会社には専門的知識と経験があるのだから、損害額の積算説明書(その積算額と示談金額は基本的に正確に対応すべきとしています)を適正に作成して、被害者に示して説明する義務があるとしました。そして、被害者は、このような説明書による説明を受けておらず、自賠責保険金額以上の損害を請求できることを知らなかったために示談したのだから、錯誤無効であるとした上で、説明義務違反による示談契約の解除という方法も可能としています。

したがって、無効または解除を理由とする再交渉を検討することになります。実際の事件では、裁判所は、仮に示談がなかったとして本来の算定をした場合に、どれくらいの賠償額になるか(示談額と相当の差が生ずるか)という実質的検討をしていると考えられます。

「まきえや」2009年春号