まきえや

イラク戦争は、日本にとって何だったのか

イラク戦争は、日本にとって何だったのか

2003年3月20日、この日イラク戦争をはじめたアメリカは、世界の国々に、アメリカを支持するかしないかの踏み絵を迫りました。世界がアメリカによって二分されたはじめての経験ではなかったでしょうか。

我が国は、小泉元首相がいち早く支持を表明しました。しかし、アメリカが大いに頼りにした西欧は抵抗しました。アメリカと歴史的なつながりの余りにも深いイギリスの支持は別格として、NATO諸国の中でも有力なフランスとドイツは支持しませんでした。何故か。戦争に大義なしと判断したからです。イラク国内に大量破壊兵器(核兵器)があるという証拠の根拠は薄弱であり、しかもフセイン大統領(当時)は、前年から国際原子力機関の査察を受け入れて査察中だったのですから。それを無理矢理退去させて戦争を始めたのです。

世界にとって、もうひとつのはじめての経験は、イラク戦争が始まる前に大規模な反戦行動が世界各地で繰り広げられたことです。平和を願う世界中の人々が、アメリカの戦争を断念させようと同時に行動するという画期的な世界的連帯の経験でした。

その後、大量破壊兵器は見つからず、政権打倒や石油利権が戦争目的と言われはじめ、支持した国々も次々と軍隊を撤退させてゆきました。「イラク復興特別支援特措法」(2003年7月)を作ってまで復興を口実に自衛隊の海外派兵を「実現」させた我が国も2006年6月には、航空自衛隊を残し撤退しました。

ところが、「撤退」したはずなのに、「残った航空自衛隊」が、「戦地」において米兵や武器を空輸しているのは憲法9条違反であると、名古屋高等裁判所は厳しく断罪しました。撤退といいながら、国民の目に触れないように、こっそり米軍と「集団的自衛権」をイラクで展開しようとしていた政府の行為が白日の下に照らし出されたのです。天網恢々疎にして漏らさず。憲法が輝いた瞬間でした。いやそれ以後もずっと輝いているはずなのです。

京都第一法律事務所は、今回、イラクに入り戦争の悲惨さを間近に経験し、真のイラク復興に人生を賭けている高遠さんをお招きして、イラク戦争の意味と日本国憲法の輝きをお話しする機会を設けました。多くの方々が高遠さんのお話しを聞きに来られるよう切に願っております。

「まきえや」2010年秋号