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ドイツ・スイス脱原発・ILO調査の報告

ドイツ・スイス脱原発・ILO調査の報告

奥村 一彦弁護士 奥村 一彦

【1】自由と人権を守る弁護士で構成する自由法曹団の京都支部は今年創立50年を迎え、記念行事として、8月24日から9月1日まで、ドイツでの脱原発調査とスイス・ジュネーヴでILO(国際労働機関)を訪問し、労働者・労働組合に関する学習を行いました。総勢14名のうち京都第一法律事務所から7名(村山晃団長、奥村一彦、糸瀬美保、大島麻子、秋山健司、渡辺輝人、谷文彰)が参加しました。

【2】ドイツは、2002年、社会民主党と緑の党の連立政権時に脱原発法を成立させ、脱原発の方向に進んでいましたが、2010年メルケル政権は(キリスト教民主同盟と自民党の連立政権)、脱原発のプログラムを一旦先延ばしにしました。ところが、2011年3月11日、福島第一原発事故の発生を受けて再び脱原発を推進する立場に戻りました。

【3】最初に訪問したのは社会民主党(SPD)でした。折しも総選挙が始まる時期で、議員本人は忙しく(国会周辺で議員の録画撮りが行われていました)、政策秘書らが応対してくれました。政策秘書は特定の分野の専門家であり、議員や党の政策を作るのですから、議員より深い知識を有しています。

SPDへのヒアリング
SPDへのヒアリング

要旨以下のような話がされました。

ドイツでは戦後、環境を保護する考えが広く提唱されており、特に脱原発を掲げる緑の党が1970年代に大きくなっていた。1986年にチェルノブイリ事故が発生したことをきっかけに、同年秋にはSPDも脱原発を強く訴えるようになり、脱原発政策について一致をみるようになった。1998年にSPDと緑の党による赤緑連立政権ができた。連立政権発足前に連立協議を行い、連立協定に脱原発が定められ、政権の方針となった。

もっとも、脱原発をどのように進めていくかについては、様々な調整が必要であり、緑の党は即時の脱原発、SPDは即時は難しいという考えだった。SPDは、4大電力会社と利害調整をすることを主張した。また、政府が法的に損失補償しなければならなくなる状況もあった。そこで、強制的に稼働期間を制限するという手法は採らず、連邦と電力会社との間で粘り強く協定の締結を目指して協議し協定を成立させ、その協定に従った内容で脱原発法(改正原子力法)を制定することに成功した。

もちろん国民の多くが、チェルノブイリ事故の放射能被害の重大さを認識していたからこそ協定が成立したことはまちがいないでしょう。

【4】その後、ドイツ環境支援協会(中間貯蔵施設を巡る裁判闘争の経験について)、アゴラ(再生エネルギーへの転換を推進する団体)、緑の党と訪問を続け、廃炉作業中であるラインスベルク原発を訪問しました。

廃炉作業でも放射能漏れがないように厳重に管理されて行われており、それに比べ福島第一原発は炉心が溶融してしまっており、不定形のものをいったいどうやって核反応なく安全に取り出せるのか、気が遠くなるような困難を憶えました。

廃炉について説明を聞く
廃炉について説明を聞く
廃炉作業中のラインスベルク原発
廃炉作業中のラインスベルク原発

【5】その後スイス・ジュネーヴに移動し、ILOを訪問しました。ILOには日本人弁護士がスタッフとして活躍しており、大いに勇気づけられました。また、ILOの隣の国連ヨーローッパ本部の建物を見学しました。私たちの訪問後シリアの議論が続けられている場所です。

スイスアルプス
スイスアルプス

【6】堅い話ばかり書いてきましたが、もちろん旅の楽しみもありました。ドイツではビールの安さとソーセージのおいしさに感動し、スイスではヨーロッパアルプスのひとつモンブランを間近に見ることができました。また、ドイツの街角ではいたるところにナチの犯罪を告発するモニュメントや写真展示がされており、過去への直視を怠らない姿勢には頭が下がりました。

私個人としては、芸術と芸術家の街であり、また近現代の建築運動をリードしてきたベルリンのたくさんの建築物の見学ができ、満足でした。

調査参加メンバー(ILOにて)
調査参加メンバー(ILOにて)
「まきえや」2013年秋号