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退所のご挨拶

退所のご挨拶

渡辺 馨

46年を振り返って

1967年4月に事務所に入所して以来46年が経過しました。2014年2月末日をもって事務所を退所して弁護士を廃業しました。退所・廃業の理由は体調不良と老齢(半寿)です。事務所を去るに当たって寂しさがこみ上げてきましたが、反面、満足感に満ちた46年間でしたので、振り返って主な活動歴を書いてみます。

私が入所したとき弁護士は5名で、事務所は第2日赤前の都文化ビルの15坪で相談室は1室だけで相談が重なったときは、同じ階の喫茶店でしました。68年、衣棚通夷川の吉田ビルの30坪の事務所に移転し、同年、稲村、小林の両弁護士、69年、川中、高田、吉田の3弁護士、70年、渡辺哲司、加藤両弁護士が入所して事務所体制は大いに強化されました。私は、70年に自由法曹団京都支部の事務局長に就任し、事件活動(手持事件は労働事件10件、一般事件80件)の外に団支部活動のため多忙をきわめていました。事務所は午後11時になると目覚時計が鳴り、退所をうながしていました。弁護士として最も充実していたときです。

私は、1973年4月、翌年4月の知事選挙と同時におこなわれる(旧)右京区府会議員補欠(1名)選挙の候補者になりました。はじめは断っていたのですが、蜷川知事から直接説得されて決意しました。私は、父から「貧乏人の味方をする弁護士になれ」と言われ、弁護士専業を決めていましたが、府会議員という政治の世界に足を入れることになり、二足のわらじをはくことになりました。補欠選挙は落選しましたが、75年4月から87年4月までの3期12年府会議員として活動しました。蜷川与党3年、林田、荒巻野党9年の12年間、議会運営委員、うち6年代表幹事をしました。その頃の自民党府議団は、野中広務氏が中心指導部で厳しい議会運営が展開されていました。政策的には妥協しませんでしたが、大声で怒鳴りあったことが度々あり、人間的には親しみを持つ間柄になりました。思い出の1つは、京都府とアメリカ・オクラホマ州の姉妹都市締結を記念してオクラホマ州上院議会を訪問したとき、上院での個人紹介で「コミュニスト・ロイヤー」と紹介されたときの議会の動揺に私の方が驚きました。

1987年4月、府会議員をやめて弁護士に復帰したあとは、労働・公安事件以外の一般事件、医療・福祉分野や高齢者の権利擁護に力を入れてきました。2008年4月、後期高齢者医療制度の創設に伴い、75歳以上の高齢者は国保や組合健保等から脱退し、この制度に強制的に加入させられました。この制度では保険料が天引され、保険料を未払になれば保険証を取り上げられ、75歳以上の高齢者が病院から追い出されることになりました。この制度の早期廃止をめざして全国的運動の確立のために奮闘してきました。

事件活動以外では、1991年6月京都府日本共産党後援会代表世話人、同年9月国民救援会京都府本部副会長、2006年6月中・右京健康友の会会長に各就任し、昨年これらの職を辞任するまで頑張ってきました。今後は、役職は辞任しましたが一会員として力をそそいでいきたいと思っています。

最後に私の病歴についてであります。2002年8月に左肺上部をガンで摘出手術、6年8月右肺上部を摘出手術しました。いずれも早期発見でしたので投薬や放射線治療は一切していません。「ガンとの闘い」は定期の健診で早期に発見して治療すること以外にありません。ガンについては現在もPET-CT検査をしています。ガン以外では糖尿、眼科、神経内科、消化器内科の治療を受け、体調回復のために通院を続けています。

以上、46年を振り返っての報告とします。

「まきえや」2014年春号