まきえや

建設アスベスト京都地裁判決で国と企業の責任を断罪原告被害者ら全面勝訴

事件報告 建設アスベスト京都地裁判決で国と企業の責任を断罪原告被害者ら全面勝訴

国にも企業にも勝ちました

原告団と弁護団が結成されたのは、5年以上前のことです。

すぐに裁判の準備にとりかかり、2011年6月に提訴、4年間の審理を経て、今年の1月29日、京都地方裁判所で、判決が言い渡されました。いろんな意味で影響の大きな事件の判決は、いつものことですが、大きな緊張に包まれます。三人の裁判官に、「判決」という名の運命をゆだねるのは、弁護士の宿命なのですが、なんとも言えない緊張の一瞬です。

そして判決は、被告の国と企業は、原告らアスベスト被害者に損害賠償をせよという画期的なものでした。

この事件は、東京・横浜で訴訟が提起され、次いで、北海道が、そして四番手が京都でした。その後、大阪と福岡が提訴に踏み切り、全国を縦断する裁判になりました。

どの地域にも、建設アスベストの被害者はいるのですから当然のことなのです。そして判決。最初の横浜が敗訴、しかし次の東京が国の責任を認め、福岡・大阪と国の責任が引き続き認められ、京都にバトンタッチされました。国の責任は3連勝でしたが、企業は、すべて敗訴続きだったのです。

ですので、京都地裁で企業の責任が認められたことは、本当に意義深いことでした。

アスベスト製品を大量に製造販売し、事件の原因を作った企業が断罪されるのは、当然のことです。企業にこそ責任が認められなければなりません。「何らかの形で企業責任に風穴を空けたい」という強い思いの中で迎えた判決は、「風穴」ではなく、ほぼ全面的に企業責任を認める内容になっていました。私たちの思いをストレートに受け止めた判決でした。

判決の瞬間

思わず強い感動がこみ上げてきました。

「旗だし」をする弁護士は、「勝訴」「国の責任を四度認める」「建材メーカーの責任を初めて断罪」という旗を持って、法廷を飛び出します。あいにくこの日は雨が降っていましたが、法廷に入りきれない多くの人たちが裁判所前に詰めかけていました。旗出しの瞬間、外の歓声が法廷の中に聞こえてくるようでした。

深刻かつ重大な被害

建設アスベスト被害は、その広がりと深刻さから言って、過去類例をみない甚大なものです。輸入された膨大なアスベストの7・8割が建材となって建設現場に入り込み、そこで働く数百万人の建設労働者に被害を与えてきました。10年前にようやく製造禁止になりましたが、発症までの潜伏期間は、10年から40年という長いもので、これから先も、発症する人が増えていく可能性が極めて高いのです。さらには、今後の改修・解体に関連して、どれだけの人たちが、被害に会うかも計り知れません。

発症する病気は、中皮腫や肺がんなど、重篤で深刻です。

私たちの裁判も、26人の被害者の内、16人の人がすでに亡くなっているのです。

判決を生み出した力

裁判の途中で亡くなった方も多くおられました。こうした命をかけた原告団の闘いが、この判決を生んだと言っても過言ではありません。

そして、いつそのような病気を発症するかも知れないという膨大な建設作業従事者がいます。全京都建築労働組合(京建労)の組合員の多くも、そんな状況に立たされており、組合は、まさにわがこととして、裁判に取り組みました。その力が、判決を生み出すもう一つの原動力だったと思います。

全国の関心も強く、京都の裁判所に寄せられた署名は、56万筆に及び、この数字も判決を生み出した大きな力でした。

建設アスベストと取り組んで30余年

今から30余年前、京建労が、初めて、アスベスト建材が重大な被害を引き起こすことに気づき、「アスベスト全廃決議」をあげました。その動きは、全国建設労働組合総連合(全建総連)を巻き込み、国の政治を動かしかけたのです。しかし、当時、その取り組みは、行政や企業の強い抵抗にあって実現しませんでした。そして、それから20年もの間、アスベストは大量に使われ続けたのです。

それだけに、国や企業を許せないという思いには強いものがありました。失われた20年はあまりにも長すぎました。

しかし、こうした取り組みがあって、全建総連で裁判闘争が始まり、京都では、京建労が中心になって原告団が組織され、裁判闘争が始まったのです。

今回の画期的な勝訴判決の背景には、こうした京建労の粘り強い取り組みがあったのです。

闘いは、これから

しかし、アスベストの闘いは、裁判では大阪高裁に舞台を移します。国も企業も「争う姿勢」を崩していません。高裁では、勝訴判決を維持するのはもちろんのこと、さらに不十分だった「一人親方」問題も克服する、より質の高い判決を目指して、闘いは続きます。さらに、これら一連の勝訴判決を武器に、政治的な決着をめざす闘いも一気に強めていくことが求められています。

闘いはいまから、闘いはこれから、です。

(当事務所の弁護団弁護士 村山、大河原、秋山、谷)


「まきえや」2016年春号