あなたのために全力で 暮らしと人権を守って48年 京都最大の法律事務所(弁護士19人、事務スタッフ25人) 法律でお悩みの方はお気軽にご相談ください。0120-454-489

化学反応による異臭で住民が避難

化学反応による異臭で住民が避難・・・

飯田 昭弁護士 飯田 昭
化学同人刊行、「化学」2004年2月号掲載
今月の相談大学の研究施設で化学反応による異臭が発生し、周辺住民が非難する事態になりました。大学や担当教授の責任はどうなりますか。

化学工場の爆発や火災、有毒ガスの漏洩ほど大規模ではないにせよ、住宅地に隣接した大学では化学実験によって発生した悪臭によって周辺住民が被害を被る可能性がないとはいえません。万一このような事故が起きた場合、その法的責任はどうなるのでしょうか。

民事上の責任はどうなる?

(1)大学の責任

まず大学は、不法行為に基づいて損害賠償責任を負います。この点、国公立大学の場合は、担当教授という「公務員」が、研究という「職務」を行なうにあたって、違法に他人に損害を加えたわけですから、国家賠償法1条1項に基づいて「国又は公共団体」としての大学が賠償の義務を負うことになります。

一方、私立大学は「国又は公共団体」には該当しませんが、民法715条1項に基づく賠償責任が発生します。すなわち、住民が避難しなければならないほどの異臭発生が教職員によって生じた場合、教職員の「使用者」である大学は教職員を監督すべき義務を怠ったものとして損害賠償責任を負うことになります。なお、この場合において、大学側が、「被用者」たる教職員の選任およびその事業の監督につき「相当の注意」をなしたとき、または相当の注意をなしたとしても損害が生じたといえるときなどには責任を負わなくてもすみます。ただし、こうした例外的な事情については、責任を免れようとする大学側で主張・立証しなければならず、実際に賠償責任を回避するのは困難であるといえます。

(2)担当教授の責任

故意または過失により研究施設から異臭を発生させ、周辺住民の生命・身体に危険を生じさせた担当教授は、民法709条により不法行為責任を負います。では、周辺住民が避難したにとどまり、異臭の元になったガスなどによる身体への直接の被害(たとえば、目や喉の痛み、気分が悪くなって医師の治療を受ける)がなかった場合はどうでしょうか。この場合、たしかに住民の生命・身体に直接的な危険は発生していません。しかしながら、周辺住民の生活の平穏を害し、精神的損害を与えたとして、慰謝料を支払わなければならないと考えられます。

実施に手違いなどを起こして、異臭を発生させたのが研究室に所属する学生であったとしても、担当教授にはその研究を室内での実験を監督する義務がありますから、担当教授自身の監督義務違反として不法行為責任を負います。この点、担当教授に酷なようにも思われますが、やはり人の上に立って指導・監督を行なう者にはそれだけ重い責任が課されいるといわなければなりません。

なお一般的には、人の生命・身体に危険が生じるような事故の発生が客観的に予測される際、これを未然に防止する措置を講じなかった場合は、客観的注意義務違反、すなわち過失ありとみなされます。危険な実験であった場合、それ自体に結果発生の高度の蓋然性が認められますので、予防措置も高度のものが要求されるでしょう。

もっとも、国公立大学の教職員の場合には、周辺住民に対する直接の損害賠償責任を負いません(上で述べた国家賠償法1条1項の適用について、被害者に対して直接賠償の責任を負うのは「国又は公共団体」であり、公務員個人はその責任を負わないとする最高裁判所の判断がだされています。最判昭和30年4月19 日、同昭和46年9月3日、同昭和53年10月20日など)。ただし、これはただちに、教職員が一切の賠償を支払わなくてもよいことを意味するものではありません。すなわち、その教職員に「故意又は重大な過失」があるときは、住民に対して賠償を行なった国・地方自治体に対して賠償金を支払わなければならないとされています(国家賠償法1条2項)。

担当教授は刑事責任を問われるか?

大学の担当教授や教職員には、研究を行なうにあたり他社の生命・身体の安全を確保すべき職責があります。とくに危険な化学実験をする場合には、自らの研究によって周辺住民に甚大な被害が及ぶことのないよう、事故の発生を予測し、それを防止するための適切な措置をとる義務があります。

この義務を怠って異臭を発生させ、周辺住民に避難を余儀なくするにとどまらず、死傷者を出した場合、その担当教授や教職員は、上において述べた民事上の責任を負うばかりではなく、刑事上も業務上過失致死傷罪(刑法221条1項)に問われることになります。この罪の法定刑としては50万円以下の罰金のほかに、5年以下の懲役もしくは禁固といった重い刑も規定されていますので、十分な注意が求められています。

担当教授の懲戒処分は?

担当教授や異臭発生事故を起こした教職員は、国公立大学の場合、「職務上の義務に違反し、又は職務を怠った」ものとして、国家公務員法82条または地方公務員法29条に基づいて懲戒処分を受けることになります。

一方、私立大学の場合は上のような法律の定めがなくても、各大学の就業規則に基づいて懲戒処分を受ける可能性があります。

このように不注意によっていったん事故を発生させてしまうと、民事上・刑事上の責任を一時的に負うにとどまらず、将来における研究者としての道が閉ざされる危険すらあるのです。

住民との信頼関係が損なわれる

この種の事故は、実際に法的責任が追及されるに至らない小さな事故であっても、いったん起こってしまえば地域住民との信頼関係を大きく損ないます。したがって、大学および担当職員は危険な実験を行なう者としての責任を自覚し、かつ予防のために最大限のコストをかけることを惜しんではなりません。

国家賠償法についての裁判所の判断

国家賠償法上、公務員個人が被害者に対して責任を負うかどうかについては、法律の規定上、明確ではありません。これにつき、最高裁判所は、知事個人に対する損害賠償請求に可否が問題とされた上述の昭和30年4月19日判決において、「公務員が行政機関としての地位において賠償責任を負うものではない」として被害者からの直接請求を認めず、この判決が今日にいたるまでのいわばリーディング・ケースとされています。

一方、下級審の判決のなかには、加害者たる公務員に故意または重い過失があった場合には、個人的な責任を被害者に対して負うべきであると判断したものもあり(東京地裁昭和46年10月11日判決など)、学説上も、公務員の責任意識を十分に自覚させるため、直接請求も認めるべきであるとの見解が有力に主張されています。

いずれにせよ、本文において述べたとおり、被害者たる公務員は実際に賠償を行なった国や地方公共団体からあらためて金銭の支払いを求められることもありますので、注意が必要です。