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労災・過労死事件の、いま・むかし

村山 晃弁護士 村山 晃

労災・過労死事件の、いま・むかし

かけがいのない健康といのちをまもる闘い

「格差・貧困」という古くて新しい問題が、大きな社会問題になっていますが、労働と、健康・いのちにかかわる問題も古くて新しい問題です。健康やいのちは、かけがいのないもの。それがもっとも大きな危険に直面しているのが、労働現場です。

50年前、炭坑労働者の最大の叫びは、安全を犠牲にした合理化を許すな、ということでした。その頃「どれい工場」という映画が制作されましたが、それも安全をないがしろにした機械工場で、ある労災死亡事件をきっかけに組合が生まれ、労働者が闘いに立ち上がっていくドラマでした。

そして、私が弁護士になった、今から40年前頃、それまで健康やいのちと無縁と思われていた、事務作業の現場に「けいわん(頸肩腕障害)」が多発し、業務上認定を求める苦闘が続きました。「苦闘」というのは、経済界が、一斉に反撥し、これを業務上の疾病と認めず、抵抗を繰り返したからです。しかし、この認定闘争は、着実に前進して大きな成果をあげ、次の過労死の認定闘争に引き継がれ、そして、今、職場で多発している精神疾患の認定闘争に引き継がれています。

「業務上」認定をさせるうえで、最大の壁は、いつも「通達」でした。法律に何の根拠ももたない一片の教条的な「通達」が、全国の監督署を拘束するのです。ようやく「脱官僚」ということが常識的な用語になってきましたが、「通達」からの脱却は、今も、過労死・過労自殺の認定をめぐる大きな課題となっています。

急性死から過労死へ

そして30年前、当時は、「急性死」という言葉を使っていましたが、職場で、いのちを襲う恐ろしい魔物(急性死)を退治する闘いが始まりました。働き盛りの人たちが、ある日突然倒れます。今では、多くの人が、先ず「過労死ではないか」と疑います。しかし、30年前、その言葉すら社会には存在しませんでした。多くの急性死は、働き過ぎによるものではないか、と、告発が始まりました。京都でも、「急性死問題研究会」を作って、共闘体制を構築していきました。

それから数年を経て、「過労死」という言葉が生まれました。現象だけを示す用語が、社会的に意味を持つ用語に生まれ変わった時、闘いは、一気に前進しました。

そして、その呼称は、日本社会にしっかりと根を張り、やがて世界に飛び立ち、いまや国際用語となって世界から注目されるようになりました。

過労死・過労自殺の、いま。

20年前から始まった相談活動も定着し、やがて、それは、「日本社会の働き方を見直す」取り組みにも大きな影響を与えています。

しかし、「通達の壁」は依然存在します。80時間・100時間という数字の一人歩きは、もっとも警戒されたところです。労働や負荷の実態に迫った認定手続が求められています。それでも、認定は大きく前進しています。20年前には、裁判でしか勝利することが難しかったような事例も、監督署の段階で認定されるようになりました。

特に、過労自殺について、認定をさせやすくなったことは、なによりです。

この40年間を振り返ると、「通達の壁」を乗り越え、認定闘争が着実に前進してきたことが手に取るように分かります。

過労死・過労自殺で、もっとも大切なことは、発症した直後の取り組みの重要性です。「十分な証拠」が不可欠であることは、むかしもいまも変わりありません。弁護士への依頼が、むかしと比べると随分と早い段階からになりました。そのため、証拠収集は、相当やりやすくなっています。それでもなお、事業所の協力は、十分得られず、周りの協力も得られない時は大変です。私たちに証拠収集のための特別な力を付与する立法が必要です。

過労死・過労自殺の認定は、遺族の救済にとって不可欠です。そして職場を変える大きな力になります。やがて、それが日本社会全体を大きく動かす巨大な力になることを信じて、今も一つひとつの認定闘争に取り組んでいます。