京都第一

アメリカのイラク攻撃を許さず、有事法案を廃案にしよう

有事法制

アメリカのイラク攻撃を許さず、有事法案を廃案にしよう。

今度の通常国会がやまば

有事関連三法案は昨春の通常国会に上程されました。その後の論議の中で、法案の発動要件である武力攻撃の「恐れ」や「予測」などの判断基準があまりにもあいまいであることが明らかになり、また国民保護法制が何も明確になっていないことなどから、国民の反対運動が大きく盛り上がり、この結果、法案は成立とならず継続審議となりました。

その後の昨秋召集の臨時国会では、与党より、法案についての「修正案」が提示され、また国民保護法制の「輪郭」が明らかにされました。

「修正」によっても危険な本質は変わらず

この「修正案」でも、自衛隊を出動させ、国民を動員するための法律発動要件については、実際にわが国が武力攻撃を受けた場合の外に、その「恐れ」や「予測」のある場合とのあいまいなままの要件がそのまま維持されています。これでは、現実にわが国に対する武力攻撃がない場合であっても、その「恐れ」があるなどとして自衛隊を出動させ、武力攻撃まで進むことが可能となります。これでは結局アメリカの起こす戦争にわが国が参戦させられるという危険性は解消されません。もっとも、法律制定論者の本当の狙いは自衛隊の海外での武力行使を可能とすることにあるため、どんなに「修正」が施されたとしても、このようなあいまいさは残されたままとならざるを得ないでしょう。

国民保護法とは名ばかり

国民保護法制の「輪郭」からも、その危険性が浮き彫りになっています。有事法が発動されれば、地方自治体の自治権が制限され、自治体を通して財産や物資などが調達、管理され、さらには住民が兵站などに動員されることとなります。労働者の団体交渉権、争議権や、国民の言論、表現の自由は制約され、マスコミの報道も統制されることとなります。これでは国民保護どころか、戦前の国家総動員法の復活に外なりません。

以上のように、有事関連法案はどのように修正されても、また国民保護法とセットになっても、結局はアメリカの戦争にわが国を参戦させ、国民の生活と権利、アジアの人々との信頼関係を破壊することになります。このような法案は今度こそ廃案にする、この声を大きく上げていきましょう。

そればかりではなく、石原東京都知事などは「自衛隊がもし攻撃されるなら、堂々と反撃して殲滅したらいい」などと、自衛隊がイラクで殺害行為を行うことを容認する発言をし、一部マスコミも、自衛隊のイラク派遣にあたり、さらなる武装化を論じるなど、非常に危険な動きになりつつあります。

イラク攻撃の無法性

思えば、昨年3月、アメリカのブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることを理由にしてイラクへの攻撃を開始しました。

当時、国連の査察委員会がイラク国内における大量破壊兵器の査察を継続している最中であり、同委員会のブリクス委員長が査察の継続を求めていたにもかかわらず、一方的に攻撃を開始しました。イラク攻撃にあたって、アメリカは、一旦は国連決議を得ようとしましたが、他の国々の同意が得られないと知るや、その方針を捨てて攻撃開始に踏み切ったのです。

これだけを見ても、アメリカのイラク攻撃に正当性がないことは明らかなのですが、そればかりではなく、イラク攻撃開始後も、イラク国内からは大量破壊兵器は一切見つからず、劣化ウラン弾やデイジーカッターなどの大量破壊兵器を用いて虐殺を行っていたのは当のアメリカ自身であり、その無法性、不当性は日ごとに明らかになるばかりでした。そして、いつの間にか、イラク攻撃の理由が、大量破壊兵器の存在からフセイン政権の打倒へとすり替わっていたのでした。

この無法、不当なアメリカのイラク攻撃、イラク占領に対して、日本政府は終始一貫して賛成、支持しています。そして現在、イラクに自衛隊を派遣して、イラク占領に対して現実に加担をしようとしているのです。

憲法九条を改正しようとする危険な動き

自衛隊のイラク派遣を推進しようとする危険な動きに呼応して、憲法九条を改正しようとする勢力もその動きを強めています。

自衛隊のイラク派遣を推進する勢力は、アフガニスタンに続いて自衛隊を海外に派遣し、海外派遣を積み重ねていくことで、自衛隊の恒久的な海外派遣立法に道を開き、事実上、憲法九条無視の政策をとるとともに、そのことによって、憲法九条改正への障害をなくしていこうとしており、非常に危険な動きになっています。特に、石原発言などは、憲法九条が禁じる海外での武力行使を正面から容認するものであり、決して許されるものではありません。

そして、2005年、自民党は憲法改正案を作成して発表することを表明し、国会の憲法調査会は、一定の結論を得ることになっています。

今年、憲法をまもる大きな国民世論を

そのような状況の下、来年、日本国内では、憲法を巡って大きな動きが起きてくることは避けられません。それまでに、憲法をまもる国民世論をどれだけ喚起できるかが、私たちに問われています。

この間、イラク攻撃や有事法制、自衛隊イラク派遣に反対する市民の広い共同の動きが展開されてきました。しかしながら、現実の政治の場面においては、現行の憲法を変えることを政策に掲げる政党が国会の9割以上を占め、憲法は危機に瀕していると言わざるを得ません。

しかし、憲法をまもるのか変えるのかについては、私たち国民一人一人が最終的な判断を行うことになります。国会議員だけで憲法を変えてしまうことはできません。今年、憲法のもつ、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という大きな価値を改めて見直して、国民一人一人にその価値を知らせ、憲法改正を許さない運動を広めていきましょう。

2003年12月10日(水)京都新聞

「京都第一」2003年新春号