まきえや

中国残留孤児訴訟提訴

[事件報告 1]

中国残留孤児訴訟提訴

訴訟提起

2003年9月24日、京都をはじめ、奈良、滋賀、大阪、和歌山の「中国残留孤児」90名が、国を相手取り、京都地裁へ国家賠償請求訴訟を提訴しました。

原告ら「中国残留孤児」とは、第二次世界大戦敗戦時、肉親と死別・離別して中国満洲地方に長期間取り残され、その後日本に帰還した日本人孤児らです。この裁判は、国家賠償請求訴訟の形態をとっているが、目的は、国の責任を明確にさせ、何よりも、国をして原告ら孤児達に人間らしい生活を確立させること、あわせて58年間にわたる原告ら孤児達に対する人権侵害に対し、正当な補償をさせることにあります。

弁護団結成

昨年の段階で、既に、関東では、東京を中心に第一次と第二次あわせて637名の中国残留孤児が原告となり、東京地裁へ国家賠償請求訴訟を提訴しました。全国的な規模で運動を広げたいという東京弁護団の要請、そして何より京都に在住の中国残留孤児自身の強い要請を受け、2003年春、京都でも弁護団(準備会)が結成され、訴訟の準備が進められることになりました。

聞き取り調査

訴訟を提起するにあたっては、当然ながら、当事者(原告)自身の話をよく聞くことが必要になります。この聞き取り調査によって、孤児達のおかれている過酷な現状が明らかになりました。彼らは、たった1人中国に残され、養父母らに拾われて辛うじて生きながらえ、中高年になってやっと祖国へ帰ることが出来たものの、日本語も話せず、日本の生活習慣にもなじめず、したがって就職もできないという状況におかれていました。実に、3分の2以上の原告が生活保護に頼って生活をしているのですが、中国の養父母への墓参り等に中国へ行っている間は、生活保護費がカットされてしまうなど、彼らの実情にそぐわない施策が行われているのです。

残留ではなく遺棄

この裁判は、最終的には、国に中国残留孤児についての施策を採らせることを目的としていますが、訴訟としては国家賠償請求訴訟の形態をとっている以上、当然、国の責任を明確に主張していくことが必要になります。聞き取り調査を進める一方で、弁護団は、手分けして、中国残留孤児が生まれる背景となった「満洲」の歴史や、国が孤児らに対して行った施策を調べ、国の法律的な責任を検討していきました。実は、これまで、私は「中国残留孤児」というのは、文字通り、戦後の混乱の中、中国に取り残されてしまった人と思っていました。しかし、調査をすすめる中で、彼らは、「残留」してしまったのではなく、国から積極的に「遺棄」されたのだという確信が深まることになりました。

被告国の責任

国が孤児らを「遺棄」したと確信する理由はいくつかありますが、中でも、国が「身元保証人」または「身元引受人」制度を設けたことの責任は重い。

原告達への聞き取り調査を進める中で、多くの弁護士が驚いたのは、1972年に中国との国交が回復して彼らが帰国することが可能になり、かつ彼ら自身も帰国を望んでいたにもかかわらず、実際には10年以上もたってからようやく帰国できたという人が少なくないことです。どうしてこういうことが起きるかといえば、国が、身元が判明した孤児については、親族による身元引受けがないと帰国させないという制度をとり続けたせいなのです。親族といっても数十年間全く交流がない上、直系の肉親は既に亡くなっているなどの諸々の事情から、親族は身元引き受けを拒否することが多かったのです。その結果、孤児達は帰国したくても帰国できないという事態に陥っていたのです。もっと早くに帰国できていたら、孤児らは、ここまで過酷な生活を送らずにすんだはずです。

これから

今後も、中国残留孤児訴訟は全国で提訴される予定ですが、既に、帰国した孤児の半数以上が、各地で提訴された訴訟に参加しています。これまで過酷な人生を生き抜き、老後と言われる年代にさしかかった孤児らが、せめてこれからは人間らしい生活を送りたいというのは、切実ではあるが、本当にささやかな願いです。国が責任を果たすよう、多くの方々のご支援をいただきたいと思います。

中国残留孤児原告団
「まきえや」2003年秋号