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初秋の黒部源流紀行

初秋の黒部源流紀行

-光りきらめく美渓とイワナの楽園へ-
荒川 英幸弁護士 荒川 英幸

夏山の賑わいが過ぎ去り、日一日と秋色を深める北アルプスの峰々。その狭間を、最初は開豁に、やがては大峡谷を形成して流下していく悠久の黒部。その本流や八千八谷の沢には数知れぬイワナたちが棲んでいる。黒部のイワナ――それは、野武士を思わせる精悍な顔付、激流にも耐える白く縁どられた大きなヒレ、ゴムのように強靱な体皮、側線付近の鮮明な黄や橙の斑点という特徴において他の水域のイワナと明確に識別でき、釣り人の熱い心を捉えて離さない。フランスの若きアルピニスト、ジャン・コストが「人がひとりの女性を愛するように、ぼくは山を愛する。だからこそ、休暇を待ち焦がれるのだ」と書いたごとく、黒部とそのイワナに魅せられた人間は多数いるのだ。

というわけで、昨年も黒部行をともにした関東在住の馬場君、労山の会員だが沢は未経験のわが事務所の奥村一彦弁護士の2人を誘っての黒部源流釣行となった。

北アルプス最深部の黒部源流に入るには、最短ルートの富山県側からの「太郎越え」でさえ、標高差1000mの登高(標準4時間半)と450mの下降(2時間半)のアルバイトを我慢せねばならない。水気のない既定の道を黙々と歩くというのは沢屋や釣り人にとって苦行そのものである。おまけに、ザイルや渓流シューズなどの遡行用具、ルアー・テンカラ(日本式毛鉤釣り)・餌釣りのフルセットでパンパンにふくらんだザックが肩に食い込む。しかし、奥村弁護士はストック片手に飄々と登っていく。知識人とは、このような歩き方をするものかと感心することしきり。

シャワークライミングで滝を越える奥村弁護士
シャワークライミングで滝を越える奥村弁護士

好天に恵まれた翌日は、予定を変更して本命の黒部源流と赤木沢の遡行に集中した。9月の黒部源流は、水量も少ない上に、上部の雪渓がほとんど消えているので水もそれほど冷たくない。しかし、放射冷却の夜など大銀河の絶景と引き換えに歯がガチガチ鳴る寒さだし、風雨に叩かれると疲労凍死の危険が待ち受けているので、慎重な行動が必要である。しかし、今は溢れるほどの光を受けて広いゴーロ(岩が散乱する河原)を伸びやかな心で遡行していく。

どちらの岸を行くか、どこで徒渉するかは状況や気分次第というのが遡行の面白みであり、人工の道や鎖・赤ペンキなどに拘束される一般の登山と決定的に異なる点だ。淵底の小石まで見透かせるほどに澄んだ水は、エメラルドグリーンを溶かした希薄な青さを基調にしながら、外界の光や水深、岩盤などに応じて色合いが無限に変化していく。「黒部にいるんだ」と実感できる至福の瞬間である。そして、ダイナミックな滝の下流の大淵には悠然と浮かぶ30尾ほどのイワナ。あまりに豊かで穏やかな光景に気が遠くなりながら、北アルプス有数の美渓ー赤木沢へ。

赤木沢を遡行して心が解放されない人間がいるならば、人格に重大な問題があるのだと確信できるほど、そこはめくるめく自然美が結晶した世界だ。明るく展開する沢の両岸はお花畑に彩られ、源頭の赤木岳を仰ぐ僕達には燦々たる光の洪水が降り注ぐ。次々に現れる豪快なナメ滝(スベリ台状の滝)に歓声を上げて取り付けば、快適なシャワークライミングで直登できる。裏比良の沢で、暗いゴルジュ(廊下)の中、滑落の恐怖に耐えながらヌルヌルの滝を登る時とは正反対の心地良さ。

そして、足元から飛び出して逃げまどうイワナ、イワナ、イワナ。こんなにイワナの濃い沢は、僕のホームグラウンドである白山のX谷ぐらいしか知らない。本流のイワナを担ぎ上げた「黒部源流のイワナを愛する会」の献身的放流活動によって造られたイワナの楽園であり、同会は赤木沢のイワナ保護を呼びかけている。

翌日は、夜間の雨で増水し、昆布茶のような色合いになった黒部本流をA沢出合まで下降してから、釣り上がる。昼過ぎからポツポツ釣れるようになったが、巨岩のある大淵で思いもかけず28センチ級が3連続ヒット。尺に及ばなかったことは残念だが、十分に堪能した気分で宴に取りかかる。

黒部本流のイワナ
黒部本流のイワナ

普段は釣ったイワナをリリースしている僕にとっては、黒部に来たときだけが天然イワナを食べる年に一度の機会である。鮎かと思うほど香りのよい焼イワナや身が引き締まった刺身の美味に、口々に「うまい!」と絶賛。ここで僕は、黒部のイワナの丈夫な皮を一瞬にして剥いてしまう秘技を2人に披露したのだが、感想は「鬼婆だ」というものであった。小屋に持ち帰った刺身は、長野県の釣り人グループにも振る舞って、女性達からは感動的な謝辞が寄せられた。

更に翌日は薬師沢にも入り、結果的には、渓流竿を握ったこともなかった奥村弁護士は3日連続でヒット、生まれて初めてテンカラでイワナを釣った馬場君も28センチと26センチの型揃いで、めでたく納竿したのであった。

京都に帰って来た奥村弁護士の感想は「新しい世界が体験できました。来年も黒部に行きましょう」。かくて僕は、また1人を〈黒部ワールド〉に引き込んでしまった。

「まきえや」2000年秋号