活動紹介

「憲法を活かす講演の集い」を開催しました

「憲法を活かす講演の集い」のご報告と御礼

1 2017年6月29日、木村草太さん(首都大学東京教授)をお招きしての講演会「木村草太の憲法講座~憲法を使いこなして自分らしく生きる~」に大勢の方に参加していただき、当事務所として御礼申し上げます。講演会当日、多数の方が参加される様子でしたので、急遽第2会場を用意いたしましたが、それでも会場に入りきれない状況が生じ、ご迷惑をおかけしました。今後の教訓にさせていただきます。

2 木村先生のご講演は、大変解りやすく、かつユーモアに溢れ、たびたび会場を沸かせるなど聴衆の皆さんの感想も大変良かったという感想ばかりでした。

3 木村先生の講演での発言の要旨は次のとおりです。

まず、憲法とは要するに学校の「張り紙」みたいなもので、例えば「廊下を走らないようにしましょう」という張り紙は、過去の間違いを文章化して注意を与えるものです。これを国家に対し「張り紙」をするのが憲法で、近代国家は、権力の集中が特徴であるところ、人々の安全を守るために憲法を作ったという歴史があります。国家の犯す3大失敗とは、人権侵害、戦争、独裁のことですが、そのうち人権侵害と戦争の失敗は誰にでも分かりますが、権力独裁の弊害はわかりにくいものがあります。ところで、独裁政治の成功例は実は不明で、むしろ権力が集中する失敗例はたくさんあります。そこで権力分立が必要だとされました。一体になるとまずいことがたくさんおこります。

日本国憲法も、過去の国家権力の失敗を踏まえて作られたものです。大失敗をしたからこそ、新しい憲法が必要で、例えば、日本国憲法では、刑事司法に関する規定が多いのは、治安維持法で失敗したから、その失敗を反映したものとなっているわけです。

ところで、今、国会を召集せよとの声が上がっていますが、憲法53条は、いつ招集するかの規定がありません。ところが、自民党草案には20日内に招集するとあります。だったら、これについて憲法改正をしたらいいじゃないか、自民党は抵抗できないはずです。この改正を行うために国会を召集せよと。

9条改正について、今年の5月3日、安倍首相が読売新聞にて、自衛隊を明記する改正の提案をしました。国際法では、武力行使は原則違法となっており、例外として、自衛権の行使の場合と安保理決議に基づく侵害の排除をする場合には武力行使が可能とされています。かつては、芦田修正という、国際紛争を解決する手段としてでない武力はもってよいとの見解がありましたが、今はその解釈はとられていません。今の憲法は軍隊が書かれていないし、軍を動かす規定もありません。

政府の憲法解釈の閣議決定の構造は、まず従来の通り、武力行使は禁止していると読めるとしています。次に憲法13条を根拠に、例外的に武力行使することがありうるとしています。防衛に限るという限りでは、それは行政の範囲であるとの説明は妥当と考えます。

昨年、集団的自衛権の行使反対の運動が盛り上がりました。憲法学者で集団的自衛権を正面から認める解釈をするのは1人でした。私自身は集団的自衛権の憲法上の根拠は無いと考えているひとりです。私はこれをネッシーに喩えて随分叱られました。私がネッシーに喩えたのは、ネッシーがいるならその証拠を出すべきで、ネッシーがいると信じている人を探すこととは別だと言ったわけです。

9条を残したまま、侵略戦争も可能です。例えば「ただし、政府が認める戦争はしてよい・・」という「但し書き」を入れることによってです。9条の文言だけを残すことには意味がありません。何を付け加えるかで、9条の意味が変わるということです。

5月3日の安倍首相の読売新聞での発言に、たくさんのマスコミからコメントを求められました。質問はすべて「安倍首相の付け加えの意味は何か」ということです。アエラに載せてもらいました。「良く考えていないのではないか。」というコメントです。実は、安倍首相の読売新聞紙上の発言は、安保法制成立前なら悪い提案ではなかったかも知れませんが、安保法制後はややこしくなっています。というのは、もし書くなら自衛隊の任務をかかないと意味がないのです。そこで、個別的自衛権までとすると安保法制は違憲になります。国民投票すると安保法制は無事ではなくなります。

そこで、私のコメントは、安倍首相は自衛隊を憲法に書き込むと支持が集まると思ったかも知れませんが、国民投票で否決された場合のことを考えると深い考えはなかったのではということになりました。

また、任務を書くという点で、維新の会が基本的には安保法制に反対しており、ホルムズまでは広すぎると集団的自衛権の制限を言っていますのでこの政党とのすりあわせの中で自衛隊任務の縮小案など出せないでしょう。結局、国民投票で安保法制の是非を問うことになってしまうのです。

テロ等準備罪について、この法律は、組織的犯罪集団を処罰することになっていますが、暴力団を指しているわけではありません、例えばPTAが実は任意加入団体なのにそれを隠して強制加入団体のようにみせて加入させてお金を集めると詐欺罪となります。そんなことはしないと思っているかもしれませんが条文はそうなっています。

テロ対策というなら、すでに条約が批准されています。パレルモ条約はマフィアの資金移動などについて制限するものです。ところが共謀罪の条文に金銭条文はありません。条約をはるかに越えた範囲の処罰を定めました。危険性が低い段階で処罰可能となっています。私は違憲ではないかと思っています。立命館大学の松宮先生が死刑の廃止を先にすべきだと言っているのには同意します。条約16条に犯罪人引き渡しの条項がありますが、わが国の刑法で死刑が問題になる犯罪が、死刑廃止国で起こった場合、引き渡しを受ける側の条件で拒むことができることになるからです。パレルモ条約を批准するというなら死刑廃止が先です。

憲法25条について、憲法に時代が追いついてないものがあります。アメリカ黒人差別は憲法で禁止されているにもかかわらず100年かかりました。

読売新聞のサイト(ヨミドクター)で原昌平記者が連載しています。生活保護を受給できないで、餓死したケース、心中したケースです。生活保護はそれを受給できないと生きていけないという重要な権利です。千葉県銚子市での心中は、生活保護が受給できていれば子供を殺すことはありませんでした。生活費、医療費、住宅費も支給されます。今の日本でこのような事件が起きるのは、時代が憲法の価値をまだ実現できていないからです。銚子には加計学園の学校があり、財政逼迫と言われています。そうすると水際作戦がはじまります。

教育無償化について、憲法を改正する理由にされています。しかし、先ほどの読売新聞の大阪の原記者の記事にありますが、日本政府は2012年9月、国際人権規約を留保しない、撤回するとしました。つまり国際人権規約A規約13条の2項、b,cで、無償教育について進めるとしたのです。教育無償化は憲法上の義務で、憲法改正に850億円もかかるのだったら、これを奨学金にすべきです。改憲なんかしている場合ではないのです。