※日本弁護士連合会 公害対策・環境保全委員会 50周年記念誌『2030年への環境弁護士の挑戦』
―目次―
第1 概要
第2 京都の住民・市民運動を背景とする新景観政策の実現
1 従前の景観政策とその限界
2 新景観政策の概要
3 新景観政策に至る背景
4 新景観政策の問題点と課題
5 新景観政策を生み出した最大の要因~町並み・山並み・景観・住環境の破壊の進行と住民・市民の運動
(1) 第1次マンションラッシュ~バブルの時期
(2) 京都ホテル、京都駅ビル高層化問題
(3) 活かされなかった1992年「まちづくり審議会」答申と第2次マンションラッシュ
(4) 新景観政策を生み出した3つの住民運動
第3 新景観政策の「深化」と「逆流」
1 概要
2 新景観政策の深化と課題~地域景観づくり協議会の到達点と課題
3 新景観政策の「逆流」
(1) 逆流①~一人地区計画を利用した規制緩和
(2) 逆流②~エコ・コンパクトシティを名目とした規制緩和
(3) 逆流③~世界遺産や神社仏閣敷地内or周辺の開発問題
第4 新景観政策で看過されていた問題
1 概要
2 船岡山マンション問題
3 新選組壬生屯所(旧前川邸)隣地7階建てマンション計画で工事差止の【付言】~京都市開発審査会裁決
第5 京都市のホテル過剰建設問題の状況と課題
1 概要
2 無鄰菴隣接地高級ホテル建設問題
3 課題
第6 求められる方向性
1 ホテルの過剰建設、町家の空洞化や消失、若年世代の流出への対策
2 景観法・景観条例の強化
3 総合的なまちづくり条例の必要性
4 都市法制(都市計画法・建築基準法)の抜本的改革の必要性
―本文―
第1 概要
1980年代後半から「応仁の乱」以来とも言われる歴史都市京都のまちなみ、山並みの破壊が進行し、これに対して各地で、まちなみ、山並み、景観・住環境を保全する住民・市民の運動が展開されてきた。中でも、「まちづくり憲章」を軸に審査請求や訴訟も用いたマンション反対からまちづくり運動への展開は重要である。
そして、20年を超える取り組みは、2007(平成19)年の新景観政策による高さ・景観規制の強化に結実した。
しかしながら、その後、地域景観づくり協議会制度などの新景観政策の「進化」の一方で、規制緩和の「逆流」が始まり、せめぎあいが続いている。
更に、ここ数年はインバウンドを背景とするホテル・簡易宿所・民泊の建設が過剰に進められ、その結果、歴史的中心市街地では住宅やオフィスがホテルに駆逐され、若年世帯が住めない、オフィスが不足するといった事態を招いた。しかし、これに対して京都市行政は、宿泊施設の総量規制ではなく、逆に高さや容積率の規制緩和を図ろうとしてきた。
2020年に入り新型コロナウィルス感染症拡大によってインバウンドは消滅し、多くのホテル・簡易宿所・民泊は閉鎖や危機に陥った。しかしながら、なお高級ホテルの推進政策は変わっていない。
そこで、本稿では、これまでの到達点と課題を概観したうえで、新景観政策の不十分点、現行条例の解釈と内容の不十分点を考察し、京都並びに全国的に求められるべきものを考察する。
第2 京都の住民・市民運動を背景とする新景観政策の実現
1 従前の景観政策とその限界
京都市では、1930(昭和5)年に東山山麓や鴨川沿いなどにおいて全国に先駆けて風致地区が指定され、これにより始めて風趣ある自然的景観を守るという概念が生まれた。また、1969(昭和44)年には双ヶ丘の開発問題などを契機として京都市や鎌倉市等が呼びかけた古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(古都保存法)が制定され、翌年同法に基づく歴史的風土特別保存地区を市街地から望見できる三方の山々に指定し、歴史的風土を守る取り組みが始まった。
一方、1964(昭和39)年の京都タワーの建設に対する景観論争が一つの契機となって、市街地景観の保全・整備にも目が向けられるようになった。1970(昭和45)年9月にはユネスコが「京都・奈良の都市計画における歴史的地域の保存と開発についての勧告」を出し、京都・奈良の遺跡と記念物は日本・世界の遺産であるが、無思慮・無計画な建設事業による危機に見舞われており、歴史的地区内での保存と開発の調和が欠如しているとして、①全域での強力な保存策、②歴史的地域の周辺部と借景の厳重な保全、③自動車交通の制限、④長期的・大規模な保存計画、⑤都市計画・公共事業との調整、⑥研究成果の住民への還元と教育、⑤保存法の再検討と強化(買収権限・予備的保護)など、強力な保存策を勧告した。
これを受けて、1972(昭和47)年に市街地景観条例が制定され、市街地景観の整備の取り組みが始まった。またこれと相前後して、1970(昭和45)年の建築基準法の改正により、20mと31mの絶対高さ規制が廃止され、京都でも超高層ビルの建築が可能になったが、京都では「三方を山々で囲まれた歴史都市、京都には超高層ビルは相応しくない」との考えから、1973(昭和48)年に市街地景観と住環境保全を目的として、市街地の大半に高度地区(45/31/20/15/10m)を指定し、建築物の高さ規制を継続した。
その後、1995(平成7)年に同条例は「市街地景観整備条例」に改定され、5種の美観地区(合計1934ha。04年3月現在)では、高さ、形態、意匠の確保を市長の「承認」というかたちで担保した。
その他、同条例では建造物修景地区(美観地区、風致地区以外)、歴史的景観保全修景地区(祇園縄手・新門前、祇園南町、上京小川)、界隈景観整備地区(三条通など)、沿道景観形成地区(御池通の一部)、伝統的建造物群保存地区(祇園新橋、清水産寧坂、上賀茂社家町、嵯峨鳥居本。許可制。文化財保護法による伝統的建造物群保存地区に重なる)を定めた。これと、風致地区条例による風致規制(許可制。市域の約30パーセント)、古都保存法による歴史的風土特別保存地区(許可制)、同歴史的風土保存区域、自然風景保全条例による自然風景保全地区(許可制)、都市緑地法による特別緑地保全地区の指定(許可制。吉田山など)などによる規制等がおこなわれてきた。
しかしながら、1980年代後半からの第1次マンションラッシュ、更には建築基準法の緩和(共同住宅の共用部分の容積率不算入、建築確認の民間開放など)のもとでの1990年代後半からの第2次マンションラッシュに直面する中で、町家のすぐ横に高層マンションが林立するなど、まちなみ、景観、住環境の破壊が進行し、これまでの景観施策では歴史都市京都のまちなみ、景観、住環境を保全するには、到底不十分であることが、明らかになった。
そこで、京都市は2003(平成15)年4月、都心部の職住共存地区〔注2〕については、美観地区の拡大、特別用途地区の指定、隣地斜線制限を盛り込んだ施策を講じたが、2006(平成18)年11月、「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」の答申を受けて、新景観政策の素案を発表し、これまでの景観政策を抜本的に強化する方針に踏み切った。新景観政策関連条例は2007(平成19)年3月に市議会で可決され、同年9月から実施されている。
2 新景観政策の概要
(1) 高さ規制の強化【資料1,2】
新景観政策の最大の眼目は、高さ規制の強化である。これは、高度地区(都市計画)の変更により実施された。「歴史的市街地」「山すそ部の住宅地」「市街地西部および南部の工業地域」の3エリアを中心に、高さ規制が引下げもしくは新規実施された。
区分も、従来の10/15/20/31/45mの5段階から10/12/15/20/25/31mの6段階となった。特に、歴史的市街地については、ほぼその全域で高さが引き下げられ、特に都心部の幹線道路沿道(田の字地区1)については45mから31m、その内部地区(職住共存地区2)については31m(マンションでは11階程度)から15m(5階程度)に引き下げられた。この大幅な高さ規制の強化の理由は、職住共存地区では、2階建ての京町家とのまちなみと調和を図れる高さが5階程度というシミュレーション結果に基づくものである。
1. 河原町通、烏丸通、堀川通、御池通、四条通、五条通の6本の幹線道路沿道地区のこと
2. 上記6本の幹線道路に囲まれた内部地区及び御所南の容積率400%地区のこと。田の字地区と職住共存地区を合わせて歴史的都心地区という
この高さ規制引き下げにより市内の約800棟の既存不適格建築物が発生すると推定され、その内の約650棟程度を分譲マンションが占める。これに対応するために市は「建替え・大規模修繕アドバイザー派遣制度」「マンション耐震診断・耐震改修繕助成制度」「マンション建替え融資制度」などの支援策を設けた。
これにより、市街地の大半が、10m、15mの高さ規制となった。
(2) 新景観政策は、高度地区(都市計画)の引き下げとともに、6つの条例からなる。
6つの条例とは、①高さ規制の特例許可の手続きを定める条例、②市街地景観整備条例の改正、③風致地区条例の改正による風致地区の拡大、強化、④自然風景保全条例の改正、⑤眺望景観創生条例の創設による眺望景観や借景の保全、⑥屋外広告物規制条例の改正である。
(3) 景観規制地区の拡大、強化(市街地景観整備条例の改正(②)、風致地区条例の改正(③))
建築物のデザインは都市景観に大きな影響を及ぼす要素であるところ、従前から京都市ではデザイン基準を定める美観地区、建造物修景地区及び風致地区といった地区の指定エリアがあった。これを景観法とリンクさせて拡大・強化するもので、美観地区を拡大するとともに、美観形成地区を美観地区以外の歴史的市街地全域に指定し、歴史的市街地 全域を景観法に基づく景観地区に指定した。更に、その他の市街地も景観法に基づく届出区域(建造物修景地区)とするなど、市街地の大半で建築物のデザインコントロールを行うこととした【資料3、4】。
3. おおむね昭和初期には市街地化していた北大路通、東大路通、九条通、西大路通に囲まれた地域
また、美観地区を従来の5種類から8類型60地域へ詳細化、強化した。
従来のデザイン基準では1~5種の和風を基調とした段階的なデザイン基準の種別基準であったが、地区ごとの景観特性を活かした地区基準に変更し、地区の特性を反映できるように見直された。
デザイン基準には、基本となる共通基準と、それぞれの地域の特性を詳細に記した地区別基準があり、地区別基準では、建物の規模により低層、中層、高層の3段階に分類し、建物の規模に応じたデザイン基準を定めている。
そして、景観地区と建造物修景地区の各地区では、共通基準と地区別基準の両方に適合する必要がある。
(4) 新たに制定された眺望景観創生条例(⑤)
これは、高度地区や美観地区(景観地区)の規制ではなお十分に対応できない眺望景観や借景の保全を図ろうとする制度で、フランス・パリ市のフュゾー規制を参考に、眺望景観に関する総合的な仕組みを構築したものとしては全国で初めての画期的な条例である。
景観地区や風致地区による高さ規制はその領域そのものを保全することを目的としているのに対し、眺望景観、借景の保全は、見る場所(視点場)と視点対象との間にある中間地域にある市街地に規制をかけることにより、眺望を保全しようとする制度である。
対象地域として、ⅰ境内の眺め、ⅱ通りの眺め、ⅲ鴨川などの水辺の眺め、ⅳ大文字の送り火の眺望の保全を目的とした「しるし」への眺め、ⅴ見晴らしの眺め、ⅵ見下ろしの眺めを指定し、当初38地点の視点場でスタートし、市民提案制度も設けて今後増やしていく予定である。【資料5】
眺望を守る規制・誘導制度としては、①視点場から視対象への視線を遮る建築物が建たないよう建築物の高さとデザインを規制、②近景の建築物のデザインの規制(近景とは視点場から500m以内)、③遠景の建築物のデザインの誘導(遠景とは視点場から500m以上)を設けた。【資料6】。
ここでいう「高さ」は、建築基準法ではなく「標高」を基準とすることにより、脱法的運用を防いでいる。また、「近景」は世界遺産などから500mを基準としている。
(5) 屋外広告物規制条例の改正(⑥)
屋外広告物は主張性の高い景観要素であるが、日本には屋外広告物を規制する法律はなく、条例に委ねられているのが現状である。
新景観政策では、屋上に設置する屋外広告物や点滅照明式の広告物の全面禁止、広告物の設置位置や面積、壁面に対する表示割合の引き下げを行った。さらに都心部の幹線道路沿道や一部の郊外の幹線道路沿道では、袖看板が道路上空に突出することも禁止された。
また、優良な屋外広告物に対する表彰、助成等の支援制度も設けられた。
(6) 小括
新景観政策により、歴史都市京都の大景観(盆地景観。三山の眺め)、中景観(町家を中心とするまちなみ)の保全・再生を図ることがかなりの程度できることになった。
3 新景観政策に至る背景
従来からの規制の程度では対応できない京都のまちなみ、山並み破壊と、これに対する住民・市民の運動が重要な役割を果たしたことは勿論である(これについては後記5参照)。京都弁護士会や建築学会も、くり返し意見を述べてきた。
京都市はこれまで、京都駅ビル問題や京都ホテル問題に象徴されるように、規制緩和に与してきた。しかしながら、このままでは京都は歴史都市としての価値を失うおそれがあり、更には財界も京都ブランドの危機を認識する中、景観法の制定がこれを後押しした。
新景観政策により、約800棟の既存不適格建物が発生することなどから、不動産業界、広告業界及び一部のマンション住民から反対運動や補償を求める声があがったが、京都新聞の世論調査では市民の8割以上が賛成するものであり、市議会でも最終的には全会派一致で採択された。
京都弁護士会は、新景観政策に賛成し、新景観政策は所有権に対する公共的コントロールの範囲内のものであり、補償を要するものではないとし、駆け込み建設が続出する中、その速やかな実施を求めた(2007年2月意見書。但し、4に述べる問題点も指摘している)。
4 新景観政策の問題点と課題
(1) 新景観政策の問題点
上記京都弁護士会意見書は、新景観政策の問題点と要望として、次の3点を指摘している。
① 市域全域を景観地区にする必要。容積率の引下げにも踏み切り、住み続けられる住環境の保全を図ることが必要。高さの特例許可は反対。
② 今後、住民参加の下に、不十分な点を見直すと共に、地区毎の詳細な景観保全再生計画を策定すべき。
③ 既存不適格マンションに対する公的支援策の拡充を求める。
(2) 高さ規制の特例
高さ規定の特例許可制度が設けられている(高さ規制の特例許可の手続きを定める条例)こと(①)は問題を残した。
同条例では、高さの特例許可制度は地域や都市全体の景観の向上に資する計画や学校・病院その他の公共・公益上必要な施設の計画などを対象とし、その許可に当たっては、新たに手続条例を定め、計画案の公示や説明会の開催、第三者機関の審査会(京都市景観審査会)の認定と市長の許可を経るといった仕組みとなっている。そして、この審査会は都市計画、環境、歴史、経済などの識者11人で構成されている。
この特例許可の第1号となったのが、京都大学附属病院の病棟整備計画である。この計画は、新病棟を地上8階・地下1階・高さ31mで整備しようとするものであった。同地域は東大路沿いで高さ20mまでと制限されていたが、審査会は鴨川から大文字山を望んでも妨げにならない、外観上も庇の深い屋根を設けるなどの配慮など、一定の景観配慮がなされていることや、20m規制に合わせて新病棟を5階建にした場合、高度医療を進めるために京大病院が必要とする病床(約1000床)を確保するには棟数が増え、敷地内に配置できないなど、病院という公益性という観点から特例制度によりこの建設計画が許可したと説明した。手続的には、審査会の会長が京大関係者であったという事実に問題があった。
同制度については、新景観政策の抜け穴にならないように厳格な基準や、公聴会の開催を義務付けて市民意見を聞く場を設けること、意見書への応答義務を定めるなどの対策が必要である。
しかしながら、後述(第3-3)のとおり、特例の緩和の動きが近時加速している。
(3) 課題
もとより新景観政策は、既存の都市計画法や建築基準法等を所与の前提として、景観法を活用して制定された景観の保全・形成目的に限定された制度・政策である。また、取り得る対策のメニューについても建物の用途、容積率、建ぺい率などの本来景観の保全・形成に必要な土地利用規制に踏み込むことができないという限界がある。
さらに、京都の歴史的市街地の住環境を保全するためには、街区の奥側に空地を設けるか、低層にしないと、町家や路地に居住する住民の住環境は守れない(「表高裏低の原則」)が、新景観政策は表側の景観を配慮するのみで「表低裏高」型である。
この点、パリ市においては、1977年に施行された「土地占有プラン」(POS)の時代(2000年以降は「都市計画ローカルプラン」(PLU))から、敷地の奥側には空地を設ける規制があるが(例えば、前面道路から20m以上の奥地については、その部分の敷地面積の50%以上を空地としなければならないこととされている。)、これらを参考に歴史的市街地に居住する住民が住み続けられるような施策が、町家保全の施策とともに必要である。
5 新景観政策を生み出した最大の要因~まちなみ・山並み・景観・住環境の破壊の進行と住民・市民の運動
(1) 第1次マンションラッシュ~バブルの時期
ア 1980年代後半から、「応仁の乱以来」とも形容された京都破壊が進行した。京都における規制緩和の契機となったのは、実現しなかった「京都サミット」を名目に、左京区宝ヶ池公園の京都国際会議場に隣接した西武のプリンスホテル問題であった。1984(昭和59)年、京都市は、都市公園及び椿の散策路を廃止し、市街化調整区域、第2種風致地区での例外開発許可、風致許可を与えた。これに対し、住民側は、開発許可取消審査請求・訴訟(却下)、建築確認取消審査請求・訴訟(棄却)、風致許可取消訴訟(却下)、住民訴訟(棄却)を各提起した。
1988年代後半頃から低層町家・住居地域の高層マンション問題が激しくなった。これに対し、住民側は、反対運動からまちづくり運動に発展させて対抗し、各地で町内会を単位に、「まちづくり憲章」や「まちづくり宣言」を締結した。その後40を超える地域でこのような自主協定が作り上げられた。
イ 「憲章」の第1号(1988年6月。4階までとの内容)となった東山区・白川堤町では、開発許可取消審査請求・訴訟(京都市開発審査会1990年6月7日取消裁決。その後建設大臣が京都市開発審査会裁決を取消したため、開発許可取消訴訟提起)も併用しながら、最終的には7階建、容積率300パーセントの計画を、5階建、240パーセントで景観に配慮したものに変更させて和解に至った。
第2号(1988年8月)となった中京区・笹屋町では、5階建のワンルームマンション計画を建築計画のミスを指摘して中断させている間に、旧市街地では初めての建築協定を実現させ(1988年10月。3階建13メートル以下)、更にワンルームマンションを事実上認めない地区計画も実現させた(1992年3月)。
第3号(1988年9月。鉾の高さ18メートル以下)となった中京区・百足屋町は、祇園祭の南観音山を擁する山鉾町で、9階建マンション計画に対し、表側5階、裏側3階の自主設計案を提示し、計画を撤回させた。
上記3町が中心となって、1988年10月、「住環境を守る・京のまちづくり連絡会」(木村万平代表)が結成され、90年代にかけてのマンション反対・まちづくり運動に大きな役割を果たした。
ウ 第1次マンションラッシュは、他にも、清水寺近辺の産寧坂伝統的建造物群保存地区に隣接した億ション計画(清水寺が建築確認取消審査請求を行い、約10億円で買取り決着)、八坂の塔(法観寺)横の伝統的建造物群保存地区に隣接した4階建マンション計画(八坂の塔を公開するなどのアピールにより撤回)、清水4丁目の名旅館跡地の6階建マンション建設(建築審査請求で森清範清水寺貫首の参考人質問も実施されたが、美観地区違反につき住民の請求人適格否定〔却下〕。若干のデザイン変更で建設)など、各地で景観、住環境の破壊とこれに対する住民・市民の反対運動・まちづくり運動を巻き起こした。
エ 他方、三山や山並みの開発問題では、大文字山ゴルフ場建設計画(1989年12月白紙撤回)、鴨川上流ダム計画(1990年7月白紙撤回)、ポンポン山ゴルフ場建設計画(1992年3月事実上の不許可。その後、市が買取って決着したが、買取価格が異常に高額であったため、住民訴訟が提起され、前市長に26億1200万円の損害賠償を命じた大阪高裁03年2月6日判決が最高裁上告棄却で確定)、一条山の開発許可事件(1989年7月。約2400名規模の開発許可取消審査請求を受けて、京都市開発審査会は1992年3月26日「開発許可は権限濫用」として取消裁決。1994年12月建設大臣が住民の審査請求人適格を否定して逆転裁決。1995年3月京都地裁に開発許可取訴訟。2001年2月開発計画の大幅縮小〔緑地を40パーセント以上残す〕で合意し取下げ。)、吉田山の北斜面及び東斜面の開発計画(1993年、京都市は北斜面を買取り、1994年2月、山林部分を緑地保全地区に指定して解決)などの乱開発と、これに対する住民・市民のめざましい運動が展開された。
1989年6月には、上記大文字山ゴルフ場計画や鴨川ダム計画に反対する運動体が中心となって「水と緑を守る連絡会」が結成され、1990年代にかけての水と緑を守る運動に大きな役割を果たした。
(2) 京都ホテル、京都駅ビル高層化問題
ア 1990年代に入り、バブルの崩壊とともに一時期マンションラッシュは沈静化したが、他方で、京都市の政策として特定の建築物のために、これまでの高度地区規制を実質的に緩和する方針がとられた。その代表的な問題が、総合設計制度の適用による京都ホテル高層化問題と、特定街区の適用による京都駅ビル高層化問題であった。
イ 京都ホテル高層化問題
京都ホテルは、「田の字型地区」=45メートル高度地区(2007年新景観政策で31メートルに引下げ)に所在するが、当時31メートルを超える高層建築物はほとんどなかった。京都市は総合設計制度の適用によりこれまで31メートルであったホテルを、京都市中心部で初の60メートルに建替えすることを容認した(1991年2月)。ホテルのすぐ東側は鴨東美観地区、鴨川風致地区であり、東山の眺望が広範囲に阻害されてしまうことから、住民・市民側と仏教会側(財界の一部を含む)からそれぞれ大きな反対運動が起こった。
係争裁判所はいずれも京都地裁
・(市民側)住民訴訟(等価交換無効確認、土地明渡し)→監査請求期間徒過を理由に却下(仏教会側の同旨訴訟も同様)。
・(仏教会側)建設工事差止仮処分→1992年8月6日 歴史的文化環境権(景観権)の侵害は権利として認められないとして却下(判時1432号)
・(仏教会側)総合設計制度許可・建築確認取消行政訴訟→1994年1月31日、原告の11か寺には原告適格がないとして却下
市民側は、まちづくり住民運動団体と市職労など労働組合などが共同で「のっぽビル反対市民連合」を結成し、「からすま京都ホテル」前での2年9か月、約110回にわたる昼休み街頭宣伝の実施などの運動を展開。
仏教会側は、ニューヨーク・タイムズへの意見広告や、清水寺、金閣寺、銀閣寺など有名7社寺で京都ホテル宿泊者に拝観拒否戦術などの運動を展開した。
法的には、A、私有道路を廃止し京都ホテルの私有地と等価交換で払下げたことは地方自治法、地方財政法違反で無効(住民訴訟)B、総合設計制度の適用要件を満たさない、C、宗教的環境権の侵害(仏教会)等が論点となったが、いずれの裁判も却下に終わった。京都弁護士会も総合設計制度の適用による高層化に反対する意見書を出している。
京都ホテル高層化問題は、一面ではその後の京都都心部の高層マンション乱立・景観破壊の引き金になったが、大きな反対運動の展開は、その後、市内(但し、南部を除く)で総合設計制度の適用による45メートルを超える高層化を防止する役割を果たした。
ウ 京都駅ビル高層化問題
京都駅ビルの建替え、高層化計画は、JR西日本により構想されていたが、1988年の京都市、京都府、商工会議所会頭の4者会談で具体化し、京都府、京都市も出資した第三セクター方式で高さ制限(31メートル)を無視した国際コンペを行い、採用した計画(原廣司設計)にあわせて、京都では初めての特定街区制度を適用して都市計画を変更する(1992年12月)という手法が採られた。
駅ビルの内実は、JR西日本のホテルとデパート(伊勢丹)であり、高さ約60メートル、幅約490メートルの「巨大な壁」で京都の南北を分断し、大景観を破壊し、交通分断・混乱を招くものであった。
これに対し、「京都駅建替え問題対策協議会」、「のっぽビル反対市民連合」、「まちづくり市民会議」を中心とした2次にわたる住民監査請求は、府が6634名、市が5415名の規模で行われ、1991年3月の住民訴訟も各約2000名の規模で提起されたが、1996年3月27日京都地裁判決は、行政裁量の範囲内として棄却した。都市計画決定取消・無効確認行政訴訟(原告約600名)は処分性がないとして「却下」(93年11月5日)、道路指定と建築確認の取消・無効確認行政訴訟(原告約900名)は審理途中で駅ビルが完成してしまったため、1998年3月25日「却下」され、歴史的景観権の侵害の主張は、判断されなかった。
駅ビルは完成したが、大きな反対運動の展開は、その後市内で特定街区の適用による規制緩和を防止した。
京都弁護士会も、特定街区の適用に反対する意見書を出している(1990年11月)。
(3) 活かされなかった1992年「まちづくり審議会」答申と第2次マンションラッシュ
第1次マンションラッシュによる京都破壊と、これに対する住民・市民運動の高揚を受けて、京都市も「京都市土地利用及び景観対策についてのまちづくり審議会」を設置し、同審議会は1992年4月、職住共存地区について、高さ、容積率を一旦引き下げることを含む答申を出した。
ところが、京都市は1995年に市街地景観整備条例の制定により、これまでの市街地景観条例による美観地区制度を拡大、強化し、新たに山並み保全のために自然風景保全条例を創設したものの、肝心のダウンゾーニングには踏み切らなかった。なお、自然風景保全条例の創設は、上記一条山事件の京都市開発審査会1992年3月26日裁決の「付言」を受けて検討、実現に至ったものである。
そして、1990年代後半以降は、建築基準法の規制緩和(共用部分の容積率不参入や建築確認の民間開放)の下で、マンション計画は第1次の頃と比較してもはるかに強引に進められ、大半の地域では第1次マンションラッシュ時のような住民運動も取り組めなかった。住民運動が取り組まれた地域においても、業者は強引に推し進め、一部の地域では裁判闘争も行われたが、もはや十分な成果を得ることができなかった。
(4) 新景観政策を生み出した3つの住民運動
ア このような中で、新景観政策の制定に大きな影響を与えた特筆すべき住民運動として、釜座町・三条町・西六角町の住民運動と、姉小路界隈の住民運動がある。
また、山並みを守る住民運動では、半鐘山開発問題について述べる。
イ 釜座町・三条町・西六角町の住民運動
「田の字型」北西部の職住近接地域(用途は商業地域)のほぼ中央部、一町街区(120メートル四方)の真ん中の袋小路にリクルート・コスモスにより高さ規制一杯の11階建て、134戸の大型マンションが計画された【資料7】。
北側の釜座町は、1991年1月に町内の高さを6階までとする建築協定を実現し、東側の三条町は祇園祭の八幡山を擁する町内で、京都市指定有形文化財の町家「詩織庵」が隣接している。
釜座町・三条町・西六角町の3町の住民256名は、マンション建築差止めを求める仮処分(京都地裁)と、建築確認取消を求める審査請求(京都市建築審査会)を行ったが、仮処分は2000年3月30日に「却下」、審査会は同年4月25日に「棄却」に終わった。しかしながら、建築審査会は「付言」で、要旨次の通り述べて、京都市に抜本的な対策を強く求めた。即ち、「この建築計画は京都市が進める都市景観・まちなみ保全・そのための建築協定などを無意味にするほど規模・形態がふさわしくない」とし、「このような建築物を規制できないようでは、京都市の進める『まちづくり』は根底から破壊される危機をはらんでおり、歴史都市として京都の保存・発展に市民の叡智を結集して対策を打ち出すべき」とした。
同付言を受けて京都市は、「都心部のまちなみ保全・再生に係る審議会」を設置し、2002年4月に答申がなされ、2003年4月、都心部の職住共存地区については、美観地区の拡大、特別用途地区の指定、隣地斜線制限を盛り込んだ施策(高度地区31メートル、容積率400パーセントは維持するが、20メートルを超える建築物の建築条件を厳しくし、300パーセントを超えるマンションは1階に店舗を設けることを条件とするなど)が講じられ、更にはその後の新景観政策へつながっていくことになる。
ウ 姉小路界隈の住民運動
「田の字型」北西部の職住近接地域(用途は商業地域)の姉小路通周辺は、町家及び歴史的な看板が集積しているが、旧大阪ガス本社跡地の大阪ガス子会社による31メートル、11階建のマンション計画(1995年3月)を契機に、地域住民がまちづくり団体「NPO法人姉小路界隈を考える会」を結成した。
1996年3月、業者は計画を一旦白紙に戻し、京都市景観・まちづくりセンターも仲介に入って、住民、学識経験者らも交えた「土地利用検討委員会」がつくられ、2年以上検討を繰り返す中で、最終的には、容積率250パーセント、8階建、4階以上を階段型にして日照に配慮した地域共生型マンション、「アーバネックス三条」の建設合意に至った。
ところが、2001年になると、堺町通から柳馬場通にまたがる11階建(31メートル、80戸)と、御池通の柳馬場通から富小路通にまたがる15階建(約44メートル、161戸)の大型マンション計画【資料8】が出現し、これらデベーロッパーは、大阪ガスとは違い、住民側の対案主張にも耳を貸さず、建築を強行した。
「考える会」は既に00年4月に自主協定である「町式目」を締結していたが、建築協定を推進し、2002年7月、5階建(一部6階建)の建築秩序を含む建築協定を実現した。旧市街地では、笹屋町、釜座町などに次ぐ6カ所目の建築協定であるが、13町内、100戸以上に及ぶ規模は旧市街地の建築協定としてはこれまでで最大規模のものである。
2003年3月、姉小路界隈を中心としたまちづくりNPO「都心界隈まちづくりネット」も結成され、様々なイベントを開催しながら、行政、住民、地元企業が共同したまちづくりを展望している。京都市の新景観政策への転換や、マイカーの通行規制の検討に大きな役割を果たした。
エ 半鐘山開発問題
半鐘山は銀閣寺道から北東に入った白川と閑静な住宅地に囲まれたところにある1000坪程の里山で、東山36峰の一つであると言われている。以前は銀閣寺(慈照寺)の寺領で、東山の先端部分に位置し、歴史的風土保全区域、風致地区第2種地域に指定されているが、市街化区域、第1種低層住居専用地域のため、法的には開発が可能であった【資料9】。
業者による開発計画は、山を全面的に削り、13戸の住宅を開発し、白川に橋を架けて、進入道路とするもので、市議会での緑地保全の誓願採択にもかかわらず、京都市は2001年3月に開発許可を与えた。
計画は、山沿いの隣接家屋の安全性の問題、車両通行問題に加え、世界遺産・銀閣寺(慈照寺)に近接するバッファゾーン(緩衝地帯)の景観を破壊する行為でもあることから、「半鐘山と北白川を守る会」は、世界遺産条約違反でもあるとして、ユネスコ世界遺産センター(パリ)へ勧告を求める要請(2002年9月)を行なうなど、保全を求めた多様な運動が展開された。この要請を受けて、ユネスコ世界遺産センター所長バンダリン氏は、日本政府に、「半鐘山は歴史的山地である東山から降りてくる丘陵部の先端部である。世界遺産センターとしては、開発許可が出された事実に対し驚愕せざるをえない。」との書簡を出した。
法的手段としては、①開発許可取消審査請求(2102名)及び取消訴訟、②架橋工事による被害に対する損害賠償請求訴訟が取り組まれたが、業者が本格的な開発工事を強行する構えをみせたため、2003年8月には③開発工事差止め仮処分を申立て、同年12月18日、京都地方裁判所第5民事部は、崖上、崖下になる3軒につき、開発工事の続行により家屋が重大な変形、損傷を受けるおそれがあることを認め、建物所有権を被保全権利として「債務者らは、自ら及び第三者をして、半鐘山の形質の変更(樹木の伐採・枝打ちを含む)を行ってはならない」との、仮処分決定をくだした(保証金各200万円)。
樹木の伐採を含め、全体として工事を差し止める必要があるとするもので、開発許可を受けた開発工事を樹木の伐採を含め全面的に差し止めを認めたという点で、裁判所の仮処分決定例としては、画期的なものであった(業者側の保全異議、保全抗告も「却下」)。
住民側は、業者側の起訴命令を受けて、2004年1月には、④差止本案訴訟を提訴し、既に係属している業者に対する損害賠償訴訟及び行政訴訟と併合、平行して審理された。
裁判が終盤を迎えた2005年夏以降は、大幅に開発規模を縮小した全面解決へ向けた住民側と業者側の和解協議が訴訟外でもねばり強く続けられてきた。
その結果、①宅地面積は当初計画の約半分(中央部分のみ)に、区画数を13区画から5区画に限定する、②周囲部分(約3分の1)は掘削せず植樹して京都市に寄付し、周囲から見れば山が回復した状態にする、③搬出土砂の半減、④解決金、⑤今後の開発工事の監理は業者側の費用で住民側の指定した専門家に依頼する、⑥住居専用に限定し、周辺の風致景観との合致を含めた建築協定付で販売する、⑦謝罪条項など、ほぼ住民側の要求が満たされたため、2006年12月26日、業者側との和解成立に至った。
京都市が新景観政策(第3章第2節第2参照)の中で、新たに眺望景観創生条例を創設し、視点場から500メートル以内の保全などを打ち出したが、これは半鐘山の取組みと、これを受けたユネスコ世界遺産センターの上記勧告、及び京都市開発審査会2002年1月25日裁決(結論は一部棄却、一部却下)の開発計画の見直しと京都にふさわしい環境・景観保全策の制度的確立を求める「付言」が大きな役割を果たしたものである。
第3 新景観政策の「深化」と「逆流」
1 概要
新景観政策の「深化」については、新景観政策による高さ・景観規制でなお不十分な点について、地区計画の活用と、市街地景観整備条例に基づく「地域景観づくり協議会」(現在12地域)が、ハード面とソフト面の車の両輪と言ってよい。
他方で、ここ数年、空前の観光ブームも背景にして新景観政策は激しい「逆流」にさらされている(但し、京都市は、これを「進化」と称している)。
ここでは、逆流①~一人地区計画を利用した規制緩和、逆流②~エコ・コンパクトシティを名目とした規制緩和、逆流③~世界遺産や神社仏閣の敷地or周辺の開発問題への対応に分けて考察する。
2 新景観政策の深化と課題
(1) 地域景観づくり協議会の到達点と課題
地域景観づくり協議会(京都市市街地景観整備条例)は、2012年6月の修徳学区の認定が第1号で、既に12地域で認定されている。
地域でのすべての建築等行為について、協議会との「意見交換」が必須で、それが終了するまで景観地区における認定手続きに入れない。既に景観法との関係では、京都市の中心市街地全域は美観地区(=景観地区)内であり、建築確認とは異なり、市長権限で認定という一定の裁量があるため、有効に機能し得る。
マンション等の事業者側にとっても、町家景観との調和を売り物にした中低層の町家型マンションとして宣伝した方が、人気が出るという判断もあるようである。
他方で、空前のホテル建設ブーム(後述)の中で、地域と調和しない建築であっても、協議をすれば手続きを進めてよいとの姿勢が事業者側にみられ、京都市に景観地区での認定にあたっての裁量権を行使する姿勢が欠けている現状(協議をすれば協議が整わなくても認定せざるを得ないとの姿勢)が問題点として指摘できる。
この点、芦屋市が都市景観条例の運用において、行政上の高さ制限を下回っている大原町マンション計画について地域との調和条項への不適合を理由に不認定とした事例に学ぶべきである。とりわけ、地域景観づくり協議会認定地域においては、地域景観づくり計画が策定されているのであるから、地域との調和=地域景観づくり計画への適合性は認定の中心的な裁量要素の一つとすべきである。
別の問題点として、世界遺産のバッファゾ-ンである御室仁和寺門前の高級ホテル計画では、京都市が「上質宿泊施設誘致制度」を初適用して、現行の2倍近い延べ床面積の規制緩和を図る計画を、地元の地域景観づくり協議会が同意したとして推進しようとしている。しかしながら、実際には地域住民の大半は計画に反対していることが明らかになっている。まして、国民共通の財産である世界遺産のバッファゾ-ンでの規制緩和を、市民的議論やユネスコの世界遺産センターへの正確な通知(世界遺産履行ガイドライン 段落172)を経ずに推進することは、本末転倒と言わなければならない。
3 新景観政策の「逆流」
(1) 逆流①~ 一人地区計画を利用した規制緩和
新景観政策での高さ規制(都市計画法の高度地区による)の強化では、例外として、特例許可制度が条例により設けられた。この例外許可には高度の公共性、景観審議会、公聴会等のハードルがあり、京大病院では認められたが、七条警察署の建替え計画等では認められなかった。
ところが、岡崎地区の京都会館建て替え問題をはじめとして、京都市は「一人地区計画」を緩和のために利用し始めた。
京都会館建て替え問題(高さ規制を一人地区計画で15mから31mへ緩和)は、前川國男の設計にかかる京都会館の文化財としての価値や、岡崎公園と疏水沿いと調和した景観を破壊するものであり、かつ、新景観政策を「一人地区計画」により「骨抜き」にしようとするものであった。また、手続的には、従来は保全的改修を中心に検討されてきたにもかかわらず、ローム株式会社(本社 京都市)との命名権契約(52億50百万円)を結んだ頃から密室の中で方針を「第一ホール解体、高層化」に転換し、実際には大規模なオペラ公演はできないにもかかわらず、オペラ公演を売り物にして、情報公開や市民・建築専門家の意見聴取も不十分なまま「結論ありき」で強引に進められた。
これに対し、住民監査請求を経て、地域住民(岡崎公園と疏水を考える会)、建築家グループ(大切にする会)、音楽愛好家グループ(じっくり考える会)をはじめとする市民にとり、解体工事差し止めを求めた住民訴訟や建築確認取消審査請求・建築確認取消訴訟が取り組まれたが敗訴に終わった。
ただ、京都市建築審査会は2014年5月、新景観政策のもとでの「一人地区計画」の濫用を戒める「付言」を出した。このため、以降は京都市もその運用に慎重にならざるを得なくなっている。
(2) 逆流②~ エコ・コンパクトシティを名目とした規制緩和
更に、2015年以降、「エコ・コンパクトシテイ」を名目にした駅周辺の規制緩和(高さ、容積率の緩和)や、京都駅周辺を都市再生特別措置法に基づく都市再生緊急整備地域に指定することによる規制緩和が図られている。京都駅周辺の規制緩和は、大規模ホテルの相次ぐ建築計画や、リニア新幹線問題も背景にある。
人口減少時代であるにもかかわらず、我が国では、「持続可能なまちづくり」、「歩いて暮らせる公共交通中心のまちづくり」よりも、中心市街地や駅周辺における更なる高さや容積率の緩和が未だに図られようとしている。
本来、コンパクトシテイのためには、横への拡大だけではなく、縦(高さ)においても、ヒューマンスケールの中低層なものでなければならない。にもかかわらず、京都市はこの場面では率先して「逆流」を進めようとしている。
(3) 逆流③~ 世界遺産や神社仏閣敷地内or周辺の開発問題
ア 概要
銀閣寺のバッファゾーンの開発問題では、半鐘山開発問題(第2-5)があり、長期の裁判闘争やユネスコの世界遺産センターの勧告(2002年9月)などを経て、2006年12月、開発計画を大幅に縮小し、周辺を緑地として京都市に寄付する形での和解が成立した。
この教訓を経て、新景観政策では、風致地区条例を強化し、「特別修景地域」の制度を設けて、世界遺産バッファゾーン内の「樹木の保全」を図ろうとした。
ところが、新景観政策下においても、バッファゾーン内の樹木を全部伐採し、新たな住宅地を造成する開発計画が相次いだ。
イ 哲学の道宅地開発問題
2013年9月、世界遺産「古都京都の文化財」を構成する17の資産のひとつ銀閣寺(慈照寺)のバッファゾーン(緩衝地帯)内にあるニチレイ保養所跡地で、京都市の不動産業者により、敷地内の樹木をすべて伐採する宅地開発問題が持ち上がった。同地は、哲学の道の東側に面するとともに、同地の東側は法然院通をはさんで、法然院の森に連続する急傾斜地である。
地元の2町内会・哲学の道保勝会と学者・弁護士らは、日本イコモス国内委員会に緊急対応を求める要請書を提出するとともに、法然院でのシンポジウムをおこなうなどし、京都弁護士会(公害対策・環境保全委員会)も、2014年5月、「世界遺産内における開発行為等に対する意見書」を京都市長宛提出した。
これらによる世論の高まりの結果、不動産業者は、本件開発行為を断念し、当該地の保全を表明する第三者に売却するに至った。
保全を求める住民・専門家の運動・世論が、一応の勝利的決着をもたらしたことは、画期的であると評価できる。
ウ 下鴨神社マンション・倉庫建設問題
(ア) 計画の発端
2015年3月、下鴨神社(賀茂御祖神社)の境内南端のバッファゾーン(緩衝地帯)に高級分譲マンションを建設する計画が新聞に大きく報道されることになり、初めて市民の知るところとなった。マンション建設予定地はもともとは糺の森の一角で、駐車場と研修道場となっていた【資料10,11】。
マンション建設計画はこの場所に、8棟からなる低層高級分譲マンションを建設(事業者はJR西日本開発)し、定期借地権(50年間)として販売するというものであった。神社側の主張は、「式年遷宮」に要する約30億円を寄附でまかなおうとしたが不足し、土地を「定期借地権」で分譲業者に貸し出し、年間8000万円の地代を受けることによって、伝統的行事を維持しようとするもので、京都市、神社本庁、日本イコモス国内委員会の理解も得ているとのことであった。
(イ) マンション計画の問題点
第1に、開発による世界遺産への負の影響である。ユネスコが世界遺産条約締約国に示した遺産保護のための作業指針では、「完全性」「真正性」が必須の条件となっている。遺産にかかわる自然、景観など周辺環境も保全の対象とし、文化遺産の形状・意匠だけでなく精神、感性も引き継がれなければならないとしているのである。
下鴨神社と糺の森は、市街地に残された貴重な歴史と文化、自然であり、京都市民はもとより、全国・世界から訪れる人々にとって、その宗教にかかわらず、荘厳・神聖さを体感することのできる場となっている。
しかも、糺の森を象徴するニレの樹木群を一本も切らないと発表していたのが、45本も伐採することが、後日明らかになった。
第2は、他の神社仏閣への影響である。京都の代表的神社、下鴨神社で開発行為が認められるならば同様の計画が相次ぐことが懸念される。
第3は、住民・市民への説明を無視した手続である。世界遺産は国民の共有財産であるにもかかわらず、住民・市民には計画を決めてから初めて公表された。
(ウ) 倉庫問題は住民1084人が建築確認取消を求めた審査請求でストップ
マンション建設のために取り壊す研修道場は、膨大な神社の所有物の倉庫でもあった。これを取り壊し、神社北東側の駐車場として利用されていた世界遺産のコアゾーン(本体)である市街化調整区域に大型倉庫を新築する必要があるとして、神社は建築確認を取得した【資料11】。
本来、市街化調整区域には、特別の事情がなければ建物は建てられないうえに、市街化調整区域では「建築許可」が必要である。ところが、京都市は、「建築許可不要」として、大型倉庫の建築を容認した。
敷地周辺は、住宅地であり住民は大型倉庫の建設により日照、通風、火災の際の危険、交通上の支障など、多大の被害を受ける。
そこで、2015年7月21日に1084名の住民が審査請求人となって、建築確認の取消を求めて京都市建築審査会に審査請求をおこない、併せて執行停止を申し立てた。
倉庫は建設が始まると約1ヶ月半で完成してしまい、「訴えの利益」がなくなることから、建築確認の「執行停止」が認められるかが、最大の争点となった。
京都市建築審査会は同年9月11日付で、建築確認の執行停止決定を出した。「執行停止」の活用事例として、大きな意義がある。
本裁決では、市に広範な裁量権を認めて取消は認めらなかったが、実際にはこの執行停止決定により、倉庫建設計画はストップさせることができた。
(エ) マンション建設の強行と裁判
地域住民・市民は、日本イコモス国内委員会やユネスコ(本部パリ)のイコモス会長にも直接計画撤回を求める要望をおこなった。
マンション建設はバッファゾーンに係る大きな変更となるため、本来、京都市は「世界遺産条約履行のための作業指針」§107により、資産が世界遺産一覧表へ記載された後に緩衝地帯を変更する場合には、原則として世界遺産委員会の承認を得ることが必要である。しかし、この手続きもなされていなかった。
ところが、京都市は風致許可をおろし、事業者は建築確認を取得したため、風致許可取消訴訟(2016年3月23日提訴)と建築確認取消審査請求(棄却・却下)・建築確認取消訴訟(2018年9月20日提訴)が取り組まれた。
風致許可取消訴訟では、京都市は新景観政策(2007年施行)により、「下鴨神社周辺特別修景地域」として「樹木の保存」を求めているのもかかわらず、上記樹木の大量伐採は風致地区条例に違反するかが中心争点となった。また、入口論としては「原告適格」の論点があり、周辺住民に保護されるべき景観利益があることを主張・立証した。
京都地裁の2017年3月30日判決は「風致地区条例は周辺住民の利益を保護するものではない」との古典的理屈で、周辺住民の原告適格を否定して「却下」するというものであった。
マンションは建設されてしまったが、下鴨神社マンション問題の取り組みは、市民は勿論、全国的な問題提起としての大きな役割を果たした。
また、建築確認取消訴訟では、複数のマンションを繋いでいるため、「1つの建築物」とは言えず、敷地の接道義務や直通階段の設置義務を満たしていないことが主張された。しかしながら、同日の京都地裁判決は周辺住民の原告適格こそ認めたものの、内容については、形式的に「1つの建築物」とするものであった。
マンションは建設されてしまったが、下鴨神社マンション問題の取り組みは、市民は勿論、全国的な問題提起としての大きな役割を果たした。
(4) 小括
世界遺産や神社仏閣敷地内あるいは周辺の開発問題は、このほかにも、梨の木神社敷地内マンション建設(建設)、平野神社横マンション建設問題(建設)、御室仁和寺前ガソリンスタンド・コンビニ建設問題(撤回。その後ホテル建設計画)、醍醐寺周辺開発問題(宅地開発は市街化調整区域編入で防止)、清水二年坂京大和敷地大規模ホテル開発計画(計画修正で建設)など、各地でおこっている。
京都市も、歴史的景観の保全に関する新条例の制定検討や国への立法要望をおこなっているのであるが、他方で、下鴨神社、御室仁和寺横ホテルや清水二年坂開発については、京都市自身が後押しをしており、新景観政策の「深化」と「逆流」のせめぎあいが続いている。
第4 新景観政策で看過されていた問題
1 概要
新景観政策で看過されてきた問題を示す象徴的事案として、船岡山マンション事件と新選組壬生屯所(旧前川邸)隣地7階建てマンション計画(撤回)を取り上げる。
前者は、平安京の位置決めとなった史跡への無配慮を示すものであり、後者は高さ・景観規制が不十分なまま残された地域の典型例である。
2 船岡山マンション問題
(1) 行政事件
舟岡山南側斜面地に、名古屋の建築業者がマンション建設を行った。舟岡山は平安京の風水(古代からの都市計画)に基づく平安京の北(玄武)の位置決めの拠点とされた国史跡である。
斜面地を利用した建築計画はその環境を根底から破壊するとして、大徳寺を含む住民・市民の反対運動が展開された。京都市も介入し、高さが1層減らされ、京都市斜面地条例の制定につながったが、のべ床面積は変わらず、市は斜面地条例の施行直前に建築確認がおろした。
計画は、開発行為(形質の変更)を伴うものであるとして、2005年9月に当該マンションの建築確認処分及びその前提をなす開発非該当確認処分の取消しを求める審査請求(建築審査会、開発審査会)が1000名を超える住民の請求により取り組まれた。しかしながら、建築審査会は開発行為に該当しないとして棄却し、開発審査会は処分性無しとして却下した。
これを受けた行政訴訟(2006年4月提訴)は、係争中にマンションが完成したため、10mを超える部分の除去等を求める義務づけ訴訟に変更したが、2007年11月の判決は「重大な損害」要件を欠くとして却下した。
(2) 民事事件
マンションの完成をふまえ、住民側は、工事中の不同沈下などの家屋・地盤被害への損害賠償とともに、景観権・景観利益を根拠とする10mを超える部分の撤去等を求めた民事訴訟を提訴した。
2010年10月の京都地裁判決は、工事中の騒音被害の一部を除き棄却したが。2013年2月14日の大阪高裁判決は、家屋・地盤被害は全面的に認容したが、景観利益については棄却した。
しかしながら、国立最高裁判決を機械的・形式的に適用した原審と比べて、本件における景観の特徴や住民の意識等について、丁寧な判断をしている。住民側の主張してきた「地域ルール違反」が「社会的に容認された行為としての相当性を欠く」という判断につながりうることを認めている。
また、同判決は、地域ルール違反を「行政法規違反のように社会的相当性の判断に影響を与えると評価できる」ことがあると明言しており(判決書56頁)、行政法規と同様の意味を持つことがありうるとしている。
更に判決が、地域ルールの形成には「必ずしも住民間の明示の話合い等を必要とするものではない」(判決書58頁)としていることも、注目すべき重要な点であるといえよう。
3 新選組壬生屯所(旧前川邸)隣地7階建てマンション計画で工事差止の【付言】~京都市開発審査会裁決
(1) 地域の地域の状況と問題の背景
計画地は、京都市中京区の壬生地域。隣接する旧前川邸【資料12】の他、周辺には同じく屯所であった八木邸や新徳寺、壬生寺など、新選組関連の史跡が集積している。道路は各所で幅員4mを切る細街路で、建物はほとんどが2階建で、15mを超えるマンションはない。
京都市では新景観政策(2007年)により、歴史的中心市街地の高さ規制は31mから15mになり、景観規制も強化された。しかしながら、壬生地域は、景観地区に位置づけられ、景観計画も策定されたにもかかわらず、20m規制のままであったため、7階建、108戸のワンルームマンションが計画された。
(2) 開発許可の経緯
2019年12月、前面道路が4mを切るH宅は、事業者(大阪市)から、マンション計画を秘したまま「南側に隣接する駐車場を取得したので道路を4メートルに拡幅したい」と同意を求められ、同意してしまった。
この同意書が開発許可申請に使われ、京都市長は2020年5月に開発許可をおろした。
(3) 審査請求の取り組みと成果
これに対し、H宅の同意は【詐欺・錯誤】であるとして、【無効・取消】通知を送ったうえで、開発許可の取消を求めて、上記史跡を含む周辺住民509名が、京都市開発審査会に開発許可取消を求め、併せて執行停止を求めた(同年8月7日)。
2010年11月24日付の裁決は、計画地に隣接していないH宅の請求人適格は認めず、旧前川邸ら隣接住民にのみ適格を認め、【棄却・却下】した。
住民は、①景観破壊、②一方通行の進入路が4mに満たない違法、③旧前川邸の長大な庇は幅員から除外すべきことを訴えてきたが、裁決は、①は開発許可の保護法益ではないとしたうえ、②、③の論点については「判断しない」とした。
他方、【付言】で、「開発許可の前提である道路拡幅の同意が得られていない状態で、工事の着手は許されない。」と宣言し、結果的には、現計画は撤回された。
裁決本文の内容については不十分な点が多々あるが、地域ぐるみで審査請求をおこない、マスコミも大きく取り上げたことが、短期間での成果に結びついた。
第5 京都市のホテル過剰建設問題の状況と課題
1 概要
京都市はインバウンド(外国人観光客)頼みの観光推進策で、ホテル・簡易宿所の建設を後押ししてきた。その結果、2020年には5万室を超える過剰な宿泊施設の林立状況になり、地価の高騰を招き、中心市街地ではマンションやオフィス用地が駆逐されて、居住空間としての歴史的中心市街地が脅かされるとともに、大規模町家や路地の更なる消失を招いてきた。
2020年に入り新型コロナのため、インバウンドは壊滅し、インバウンドに主眼をシフトさせてきた政策により、ホテルや観光産業は大打撃を受けた。
ところが、京都市は一方で富裕層向けのホテルの規制緩和(「上質宿泊施設誘致制度」)の促進を続け(御室仁和寺前高級ホテル計画など)、他方で新景観政策の「進化」と称して、新たに高さ規制の特例許可の要件を拡大しようとしている。学校跡地(植柳、新道小学校)のホテル利用も引き続き推進している。
しかしながら、このような規制緩和は地価上昇と景観・住環境の悪化を招くものであり、2007年に実現した新景観政策を大きく後退させるものである。
2 無鄰菴隣接地高級ホテル建設問題
(1) 文化財保護法による国の名勝にも指定されている無鄰菴は、七代目小川治兵衛作庭・山縣有朋の別邸であり、京都市が所有する岡崎・南禅寺地域の核となる文化遺産である。無鄰菴庭園は池泉回遊式庭園で、東山を借景に振り返ると和風の母屋と庭園が見事に調和したたたずまいを見せている。
(2) 現地は、風致地区第5種地区であるとともに岡崎・南禅寺特別修景地区で、新景観政策によって創設された眺望景観創生条例による近景デザイン保全区域(南禅寺、平安神宮、琵琶湖疎水)、遠景デザイン保全区域に指定されている。加えて、一帯は2015年10月に「京都岡崎の文化的景観」として京都市内では初めての文化財保護法による国の重要文化的景観に選定された。
(3) 地域の高度地区規制は15mにとどまっているため、業者は、高さ14.1mに達する中層建築物(ホテル)の建設計画をたてた。
住民らは「南禅寺・岡崎の景観と住環境を守る会」を結成し、高さを10m以下に抑えることなどを求めて、京都市及び業者に申し入れをおこなうなどしてきたが、原計画は、無鄰菴及び庭園の文化財としての価値を著しく破壊するものであった。
(4) 2018年11月、無鄰菴庭園からの眺望景観を保全するため、新景観政策の柱の一つである眺望景観創生条例7条により、地域及び全国から賛同者277名が背景景観を眺望景観保全地域に指定することを求めた市民提案を行った。条例の市民提案条項の集団的活用の最初の事例として注目された。
しかしながら、京都市長は、建物の若干の微調整こそ行なわせたものの、樹木を高くすれば見えなくなるなどとして、2019年8月の美観風致審議会において、この市民提案を「採用しない」旨の方針を報告したため、指定には至らなかった。
(5) 上記景観破壊の問題に加え、敷地北東側で都市計画法による開発許可が必要な「開発行為」(形状の変更=30㎝を超える切土)に該当する約50㎝の切土がおこなわれていたにもかかわらず、京都市長は「開発非該当」とした。このため、建築確認だけで開発・建築が進められ、その結果、約2メートルの崖下に位置することになる隣接住民の擁壁の安全性が担保されないことが明らかになった。
これに対し、2019年6月には、地域住民678名が審査請求人となって建築確認の取消を求めて京都市建築審査会に審査請求を行った。しかし、2020年1月10日京都市開発審査会裁決は、審査請求人適格はかなり広範囲(100m)の住民に認めたが、30㎝を超える切土の存在は認定できないなどとして、執行停止の申立ても含め棄却(100m外は却下)した。
3 課題
コロナ禍が収束し、相当期間後には再び多数のインバウンドを迎えることが予想される。
これに対し、過剰なホテル建設から町家と住環境を守り、若者や子育て世代が居住できる環境を促進し、あわせて新景観政策を真に進化させるためには、第6-1で述べる方向性が求められている。
第6 求められる方向性
1 ホテルの過剰建設、町家の空洞化や消失、若年世代の流出への対策
(1) 宿泊施設の総量規制
ホテルの過剰建設問題への対処については、宿泊施設の総量規制を条例により導入することが可能である。スペインのバルセロナでは2017年に宿泊施設の建設規制制度を定めて、歴史的市街地では新規ホテルは原則禁止とされていることは参考になる〔注4〕。
(2) ランドバンク制度
町家の空洞化(空家問題)対策については、京都市でも事業者を紹介したり、相談窓口を設ける等の制度は行われているが、それだけでは採算性のとれない場所については十分に対応できない。アメリカのランドバンク制度を参考に行政ないし行政が指定する公的機関が管理権を持つことにより、状況に応じて空家の賃貸、売却、利用ができる制度(日本版ランドバンク制度)を構築すべきである〔注5〕。
既に国内の自治体で行われている施策としては、尾道市の空き家バンク制度は、尾道市とNPO法人が連携して、地域に若年世代を呼び込む大きな役割を果たしている。この点、京都市は歴史都市・文化都市として、全国的・世界的にも極めて魅力のある都市であることは周知の事実であり、また、大学のまちとして全国からの多くの若者が学生生活を送る都市でもあることから、本来は、若年・子育て層の流入を図る条件は他都市と比較しても出発点において優位であるはずである。
(3) 先買権
文化財としての指定の有無にかかわらず、消失のおそれのある重要な町家については、フランスの先買権制度〔注6〕を参考に、一時的に行政が買い取ることができる制度が必要である。
(4) 小学校跡地の公共的利用
統廃合で廃止された京都市内の小学校は、もともと番組小学校と言われ、明治期に地域住民が土地を出し合って建設されたものである。学校跡地をホテル事業用地に貸地するのではなく、公共施設(公園を含む)、地元中小企業やNPO・市民団体のためのオフィスや公的賃貸住宅として活用することに転換すべきである。
(5) 税制面での対策としては、町家の相続において、以下のような税制上の特別
措置が考慮されるべきである〔注6〕。但し、相続税は国税であることより、古都保存法と同様の枠組みか、地方自治特別法の枠組み(憲法95条)が必要となる〔注7〕。
即ち、居住または事業の用に供されている町家の土地・建物を相続により取得した場合、町家を存続させる限りにおいて、納税猶予の特例を受けることができるものとすることが検討されるべきである。
2 景観法・景観条例の強化
京都市の新景観政策(2007年)に結実した景観関係条例の充実・強化は景観法の制定のバックアップも受けて、全国的にも先進的なものと一般的には評価されてきた。
しかしながら、既述のとおり、まだまだ不十分なところがあるうえ、規制緩和の「逆流」が各所で見られ、せめぎ合いが続いている。
まずは、現行の景観法・景観関係条例の積極的な運用や強化が望まれる。
この点、芦屋市が都市景観条例の運用において、行政上の高さ制限を下回っている大原町マンション計画について地域との調和条項への不適合を理由に不認定とした事例は重要である。とりわけ、地域景観づくり協議会認定地域(本章第3-2参照)においては、地域景観づくり計画が既に策定されているのであるから、地域との調和=地域景観づくり計画への適合性を、認定の中心的要素とすることが可能である。
また、景観法は、地方自治体の創意工夫により、土地利用のコントロールをかなりのレベルで行うことができる。景観形成基準では、高さや壁面の位置(境界線からの後退距離)の指定も可能であり、この点を積極的に運用すれば、建ぺい率、容積率の制限と同等の土地利用のコントロールをすることができる。
3 総合的なまちづくり条例の必要性
京都市の場合、景観関係条例は本章で述べたとおり一定の先進性をもつが、景観だけではカバーできない開発・建築・都市計画への住民参加や土地利用調整については、もともと大規模店舗を想定して策定された「京都市土地利用の調整に係わるまちづくりに関する条例」があるだけで、「京都市中高層建築物条例」は、既に計画が確定してからの段階のもので、微調整以上の効果は期待できない。
この点、東京都の近郊自治体(武蔵野市、国分寺市、狛江市)のまちづくり条例には、(十分に活用されているかはともかく)先進的な内容をもつものであり、全国的に広められてしかるべきである。
4 都市法制(都市計画法・建築基準法)の抜本的改革の必要性
全国的な法制度の課題としては、既に2010年8月に日弁連が提案している「持続可能な都市の実現のために都市計画法と建築基準法(集団規定)の抜本的改正を求める意見書」(第※章)の示す方向性は、人口減少のますます加速する現況においては、より一層実現を求められるべきものである。
以上
〔注4〕阿部大輔龍谷大学教授「オーバーツーリズムに悩む国際観光都市」(観光文化240号 2019年1月)
〔注5〕司法書士総合研究所主任研究員石田光廣「アメリカランドバンク制度の概要と日本版構想(日本司法書士会連合会HP 2018年4月10日)
〔注6〕ヴアンソン藤井由美他「賑わう都市を創造するフランスの都市政策」(実践政策学 第7巻1号 2021年)
〔注7〕詳細は飯田昭・南部孝男「歴史都市京都の保全再生のために」(文理閣 242頁以下 1992年)参照。
〔注8〕京都市を対象とした地方自治特別法としては1950年の京都国際文化観光都市建設法がある。