京都第一

所属弁護士 PICK UP① 原点は水俣での出会い 弱者の立場に寄り添い続ける

弁護士を目指したきっかけは?

旅が好きで10代の頃から全国各地を周遊し、遠方では沖縄の与那国島へ行ったこともあります。九州・熊本では、水俣病の被害者や公害訴訟に取り組む弁護士の話を聞き、それが弁護士の道に進んだ原点です。水俣病の訴訟は1960年代に始まり今も続いていますが、70年代当時、多数の被害者が出ていたにも関わらず救済されることなく放置され、強い怒りを感じました。ジャーナリストやシンガーソングライターに憧れていた私は、文章や歌をつくって水俣の惨状を広く伝えようと考えたこともありましたが、それよりも弱い立場の人を直接支えられる弁護士になろうと決意しました。

一浪して京都大学法学部に入学し、5回生のときに司法試験に合格しました。法学部出身の同期は司法修習の後、裁判官や検事になる人もいましたが、私は水俣病の被害者のように困窮する人の近くで寄り添いながら仕事をしたいと考え、弁護士を選びました。

京都第一法律事務所に入ったのは、生まれ育った京都において歴史と実績のある事務所だから。関心のあった公害や環境問題をはじめ地域住民と一緒になって事件や問題を解決し、社会的にも意義のある仕事ができそうだと考えたからです。弁護士になってから40年近くが経ち、これまでさまざまな案件に携わってきましたが、常に弱者の立場に立つことを心がけています。

忘れられない、あの裁判
歴史都市・京都の「まちづくり憲章」第1号

1980年代、京都市内各地で次々に高層マンションが建てられ、地域住民らが反対しました。しかし、法に則った建築であれば裁判で勝つのは難しく、各地で町内会単位の「まちづくり憲章」を締結し、それを軸に審査請求や訴訟を用いた運動を起こしました。私はまちづくり憲章の第一号となった東山区白川のマンション建設反対運動に携わり、京都市開発審査会での取消裁決、建設大臣の裁決取消裁決、取消訴訟などを経て、最終的に景観に配慮した内容へと変更。訴訟外の交渉も重ね、和解に至りました。

これからの目標は?
「京都、ひいては地球。持続可能な未来のために」

コロナ禍が収束し、多くの観光客が京都を訪れる中、再び景観を壊しかねない事案が増えています。世界遺産仁和寺の門前や相国寺の北側に高級ホテルを呼び込むために、本来は許容されない規模の宿泊施設を特例で許可する動きもあります。短期的な利益の追求ではなく、長く住み続けられる環境を守っていくことが不可欠で、弁護団を結成して支援しています。公害・環境訴訟やまちづくり運動、そして地球環境問題の解決も根っこは同じ。裁判に限らず様々な戦い方を駆使して、持続可能な未来に貢献したいです。

[My Favorite] 「映画が好き。」
写真は、ここ1年で見た映画のフライヤーです。どっさりあるでしょう。ジャンルでいえば、ヒューマンドラマが好きですね。ベストワンを選ぶのは難しいですが、この1年では『コーダ あいのうた』がよかった。俳優で注目しているのは、のん(能年玲奈)。『さかなのこ』などおもしろい作品に出ておられますよ。