京都第一

所属弁護士 PICK UP① 50年のキャリアを経て「町医者」のような弁護士を目指す

弁護士を目指したきっかけは?

高知県の足摺岬近くの漁村で育ちました。「社会の仕組みを正しく理解したい」という思いで、大学法学部へ進学しました。大学3年生のときに司法の道を意識しました。裁判官や検事という選択肢もありましたが、彼らは組織の一員として上の指示に従う立場です。私は、自分の判断で結論を導き、その結果に責任を負う仕事がしたかった。そこで弁護士を目指すことに決めました。大学卒業後、東京で兄と同居しながら司法試験浪人をして、大卒の年に合格。司法修習を経て、縁もゆかりもなかった京都で弁護士をすることになりました。

京都は偶然でしたが、労働者側の弁護を担う京都第一法律事務所を選んだのは必然でした。なぜなら、社会には労働者が一番多い。労働者の権利が守られることは、社会がよくなることに直結しています。一人ひとりの労働を守ることは、社会の公正を支える基盤だと確信しています。だから、いわゆる、企業の利益を追求する「ブルジョア弁護士」ではなく、労働者の声を代弁する「労働者の味方の弁護士」、略して労弁(ロウベン)を目指しました。その信念を、私は今も仕事の中心に置いています。

以来半世紀のなかで、1998年と2002年に京都府知事選に出馬したことも。根底には京都が住みやすい街であってほしいという願いがあります。

忘れられない、あの裁判
京都市長に26億円の賠償を命じる判決が下った

勝訴を祝って市民のみなさんと。

忘れがたいのは、1992年に訴訟が始まった「ポンポン山事件」。京都市と高槻市の境界にある山を、開発業者が京都市から、莫大な金額を買収したのです。11年後の2003年、高裁にて、退職していた元市長に元金約26億円の賠償を命じる判決が下されました。この事件の主眼は、資金回収ではなく、京都市の税金の流れの真相解明にありました。市民のみなさんと一緒になって戦うことに、社会的意義とやりがいを感じました。

これからの目標は?
「顧客との関係を大切に 歩み続けていきたい」

弁護士になって半世紀。新規挑戦というよりは、これまでの顧客との関係を大切にしながら、「町医者」のような役割でありたい。もちろん今後も変わらず、住民の権利侵害や利益が不当に害される問題に丁寧に対応していきます。ほかにも、この50年で労働争議や過労死の認定などの労働事件を手掛けてきました。行政や国相手の事件も、対応していきます。

[My Favorite] 「素潜り」
生まれ育ったのが小さな漁村だったこともあり、趣味は、足ヒレやシュノーケルをつけない素潜りです。左の写真は、2025年夏、南西諸島方面に妻と出かけた時です。右は、数年前、パラオ北部のとあるドロップオフです。「潜れる限りは弁護士としての活動もできるかな」と思っています。