まきえや

リストラをはね返す大きな武器となる勝利判決―JMIU向井事件

[事件報告 2]

リストラをはね返す大きな武器となる勝利判決―JMIU向井事件

老舗の機械製造会社が賃貸業に転換

戦前から創業の染色整理仕上げ加工機のトップメーカーであった「京都機械株式会社」は、京都市南区吉祥院に広大な工場を持ち、戦後も長い間500人程の従業員が働いていました。

しかし繊維業界の不況が長期化するなかで、会社は次第に労働者の数を減らしていき、1995年には工場を三和町に移転しました。引き続いてリストラ計画が繰り返し提案され、この結果労働者の多くがやむなく希望退職に応じてきました。

それでも1998年には本社跡地で借地する「ジャスコ洛南店」が開店し、会社には毎年9億円もの地代が安定的に入ってくることとなりました。

ところがその翌年、イマジカ(旧東洋現象所)が会社の筆頭株主となり、会社の役員体制も変わりました。

このような経過を経て2001年6月、会社から、「三和町の機械部門を閉鎖しこの施設を新たに設立する子会社に賃貸する、労働者全員の自主退職を求める、労働条件が悪化しても希望する者については新子会社への就職を斡旋する」との提案がなされました。これに対し職場で組織されていた連合系組合は、結局はこれを受け容れることとしたのでした。

一人残った向井さんを解雇

向井忠夫さんは1966年に会社に入社し、以後機械設計の業務一筋で働いてきました。また組合の中でも、仲間の生活と権利を守る立場で頑張ってきました。

三和町での機械部門の閉鎖等が提案された時、向井さんは職場集会などで反対の意見を述べてきましたが、組合がこれを受け容れる方向を打ち出したため、これでは働く者の権利を守れないとの判断から、全日本金属情報機器労働組合(略称JMIU)に加入しました。JMIUが会社に団体交渉を求めても、会社は誠実に応じようとはしませんでした。その上で同年9月末をもって三和町工場を閉鎖し、労働者全員の退職を強行したのです。一人残った向井さんは、働く場所を指定するよう求めていましたが、結局会社は同年11月末でもって向井さんを解雇したのでした。この間会社は「京都エステート」と名称を変え、本社事務所も逃げるように東京へ移ってしまいました。

雇用主としての責任追及を求めて

この事件は、物つくりの老舗の会社が、製造工場を全て閉鎖し、労働者全員を職場から放逐し、取締役のみで、年間莫大な地代収益を上げるという仕組のみを残したという事案です。従来のリストラ解雇の効力を争う事件では、解雇された後も会社には一応は何らかの職場は残っており、労働者も一部は仕事していました。本件の如く、労働者が一名もいなくなり、職場が全く無くなってしまったという事例はまず見当たりません。

労働者の犠牲でこのような極端なリストラ整理が許されてはなりません。向井さんとJMIUは、雇用主としての責任を追求し、働く職場を求めて、会社相手に運動を継続することとしました。このため2002年1月向井さんが原告となって、労働者としての地位があることの確認と賃金の支払いを求める訴訟を会社相手に提起したのでした。

グループ会社も含め解雇回避努力が必要との素晴らしい判決

労働者をリストラ(整理)解雇するには、いわゆる整理解雇の四要件((1)整理しなければならない経済的必要性 (2)解雇回避努力を尽くす (3)労働者との協議 (4)人選の合理性)が必要であるというのがこれまでの労働事件で積み上げられてきた判例法理です。近年ではリストラを進めたい財界や政府からのこの要件に対する批判が強まっており、このような影響を受け東京地裁の労働部などではこの要件を空洞化する傾向が強くなっていました。

本件での判決は今年の6月30日京都地裁で言い渡されました。

要件のうち(1)の整理の必要性については、私達は製造部門では赤字であっても、賃貸部門の大幅な黒字で会社全体としては工場閉鎖の必然性はないと主張しましたが、この点について判決は、一応不採算部門の閉鎖を決めること自体は会社の判断としてあり得ると判示しました。この点は従来の判決のレベルです。

しかし次の(2)の解雇を回避する努力を尽くしたかの点について、判決は筆頭株主となった親会社であるイマジカを含め、グループ企業全体で向井さんを引き続き雇うことが本当に出来ないのかどうかを検討すべきであって、本件ではこの検討努力が尽くされていないと判断しました。イマジカが京都機械の会社の株を買い占め筆頭株主となる時点で、向井さん達の雇用が問題となることは当然予想できたので、その責任を果たすべきとしたのです。この点はこれまでの判例で確立されてきた論理の範囲を超えています。新しいレベルに達する判決といえ、リストラ全盛のこの時期、労働者の権利を守るための大きな武器となる法理です。

また判決は(3)の労働者との協議を尽くしたかどうかの要件についても、会社はいたずらにJMIUとの団体交渉に入るのを遅らせたり、交渉に入っても会社経営に関する資料を開示しようとしなかったなど、不誠実な態度に終始したと認定しました。

このようにして、解雇に必要な四要件のうち、(2)と(3)の要件を欠くことが明らかとなったため、解雇は許されないとの結論となったのでした。

勝訴の要因は運動の前進

裁判の期日毎の法廷は毎回傍聴者で一杯でした。会社社長に対する反対尋問期日には傍聴席には怒りが満ちており、向井さんの証言時は感動がありました。

また向井さんとJMIUは京都地域のみならず全国でこの事件での支援を訴え、イマジカ親会社本社に対する要請行動も何度か組まれるなどしました。結審間近には短期間で1500団体、15000人の裁判所に対する要請署名も集められました。このような運動の前進拡大が若い裁判官をして真実に目を向けさせ勇気をふるい起こさせたのです。

会社はその後控訴しました。さらなるご支援お願いします。

記者会見の様子
「まきえや」2003年秋号