まきえや

travels in Greece エーゲ海紀行

travels in Greece エーゲ海紀行

エーゲ海

ギリシャを旅してエーゲ海の島々が印象深かったので旅行記を書いてみました。

エーゲ海の船旅

乗船当日は、夜8時前に地下鉄でアテネ市内からピレウス港に移動しました。6月のギリシャはこの時間でもまだ太陽が出ています。時間があるのでタベルナ(食堂)でサラダとビールを注文。日中、暑くて乾燥したところを歩き回ったので冷えたビールが無性に美味しく感じました。午後10時過ぎには大型トラックを大量に積める特大のフェリーに乗船。シャワーを浴びて着替えをすると、間もなく船は出航。出航後はまたしてもビールを飲みながら沿岸の夜景を眺めました。船代は52ユーロですが、相部屋さえ気にしなければ、宿代+運賃+夜景特等席の料金なので、なかなか贅沢な時間でした。

パトモス島の聖ヨハネ修道院

翌朝6時45分、船はパトモス島に到着。到着前に船のデッキに出ると、目的地である聖ヨハネ修道院が島の大部分を占める山の上に見えました。聖ヨハネ修道院は、使徒ヨハネが新約聖書の「ヨハネの黙示録」を書いた、と伝えられる由緒ある寺院です。日本では無名ですが世界遺産に登録されています。

船着き場のタベルナで朝食を食べた後、修道院まで歩いたのですが、『地球の歩き方』の地図がおおざっぱすぎて道に迷い、2時間くらい迂回して山頂の修道院に着きました。

聖ヨハネ修道院は石造りの2階建てで、中庭があります。屋上やテラスの壁はエーゲ海らしく真っ白です。強い日光を避ける知恵なのでしょう。中庭も白壁で、白い壁の上に青い空が見えました。美しいコンストラストは「出来すぎ」の感すらあります。お堂の入り口や内部は宗教画がたくさん描かれていました。こちらは宗教的な意味が分からないのが残念。でも、この修道院で一番素晴らしかったのは、入り口下にある石段から見下ろす港の風景です。オフシーズンで観光客も少なく、絶景を独り占めにしました。

聖ヨハネ修道院

聖ヨハネ修道院

ロードス島の旧市街

港に戻って昼食(とビール。やめられません)の後、次のフェリーに乗船。ロードス島に向かいました。「ロードス島」は「バラの島」という意味です。十字軍に参加していた聖ヨハネ騎士団(こちらのヨハネはイエス・キリストの先駆者である洗礼者ヨハネです)が占拠し統治していましたが、1522年にオスマン帝国のスレイマン大帝が20万の大軍で押し寄せました。このときの激戦の様子を描いたのが塩野七生さんの『ロードス島攻防記』です。

港に着いて、城壁と堀に囲まれた旧市街を歩いていると、小説に描写された通りの中世の町並みが現れます。特に、煉瓦造りが美しい「騎士団街道」は小説の世界にタイムスリップしたかのようで、甲冑の音が聞こえてきそうです。この日は夕飯も旧市街の古い建物を利用したレストランで、イカの中にチーズが入った料理を食べて、またまたビールを飲みました。

旧市街地

翌日の朝食後、「騎士団長の宮殿」を見学。「宮殿」といいますが、実際には城塞の一部で、機能的で質素な作りでした。小説では宮殿の広間に「堪え忍ぶ」という意味のラテン語が「FERT FERT FERT」と3回刻まれていますが、実際には「FERT FERT」で2回でした。塩野七生さん、勘違いしたのでしょうか。

宮殿の後は、城壁の上を一周歩き、さらに城壁と城外の間にある空堀を一周歩いて、とにかく歩き回りました。城壁は小説の通り、城外とほとんどあまり高さが変わらず、城壁のヘリが45度にカットしてあります。大砲の弾が当たったときのダメージを最小限にするためだそうです。小説に出てくる城壁の外のもう一つの壁もありました。

宮殿の城壁

遺跡好き、歴史好きの私にはたまらない観光スポットでした。

本当はその後も英語通訳のストライキでツアーが中止になったり、おもしろいことが沢山あったのですが、紙面の関係で割愛します。

「まきえや」2009年秋号