事件報告 ある若者と大手“ブラック”引越企業の闘い
就労状況
Xさんは大手引越業者(Y社)でアルバイト勤務をしていましたが、2009年3月からは同社で正社員として勤務をすることになりました。当初は京都府下の営業所で勤務していましたが、2009年10月に大阪の本部に転勤、2010年11月には滋賀県下の営業所に転勤になり、2011年3月に退職に追い込まれました。
事故の賠償金を社内貯金から相殺し借用書まで!
Xさんは過労の末退職時期の直前にトラック運転中に交通事故を引き起こしました。しかし、会社は自社のトラックについて「100万円以下は免責」の車両保険に加入して保険料を安く抑えており、100万円以下の賠償金をそのまま労働者に請求しているようでした。また、Y社は就業規則も備えた上で(但し不備あり)社内貯金制度を設けており、Xさんも数十万円の社内貯金をしていましたが、会社はXさんを退職に追い込んだ上、社内貯金を(会社が主張する)Xさんが支払うべき賠償金と相殺しました。Y社では事実上、労働者の社内貯金が車両保険の免責額を補う担保として機能しているのです。
Xさんの場合、会社の主張する損害賠償金がさらに多額であったため、Xさんとの間で総額155万円の借用書まで作成し、さらに関係ないXさんのお父さんまで連帯保証人にしました。
Xさんが最初に相談に見えたのは、この借用書をどうにかしたい、と考えたからです。使用者が労働者の業務上の過失により発生した損害を賠償した後、その額を労働者に請求することを「求償」と言いますが、事業を行う以上一定の割合で事故が起こるのは避けられず、それは事業者=使用者がリスクを負担するべきものとされます。従って使用者の労働者に対する求償は厳しく制限されており、数%から多い場合でも数十%しか認められないのが通常です。まして、Y社はわざわざ保険会社の免責額が大きい保険に加入して、自らが負担すべきリスクを回避するための経費を浮かせていたのですから、Xさんに対して大きい割合での求償が認められるはずはありません。
そこで、この借用書の無効(債務不存在確認請求)を求める訴訟を提起したのがこの事件の最初でした。
許し難い賃金体系
(1)理解できない賃金額
しかし、Xさんの話を聞いていると、Y社は多額の残業代不払いをしている可能性がありました。そこで、Xさんの給与明細を分析してみたのですが、月給制なのに基本給が1円単位で毎月異なっており、給与明細から給与体系を理解することができない状態でした。そこで、訴訟になってから、繰り返し追求した結果、驚くべき事実が明らかになっていきました。
(2)異動により勝手に賃金額を変更
Xさんは前述のように支店、本部、支店と転勤しましたが、その度に賃金額が改定され、本部の賃金額が比較的高いため、本部から支店に転勤したときは一方的に賃金額が減らされました。地域手当ではなく基本給自体が一方的に減額される異常なものでした。
(3)業績に連動させて一方的な賃金減額
Xさんの賃金が毎月1円単位で変動してとらえどころが無い理由は、Y社が恒常的に賃金の一方的なカットを行っていたからでした。毎月のように、「利益が厳しい」「売上が悪化」などとして2.5%から最大12%もの賃金カットを行っていました。しかも、賃金カットは通勤手当を含めた賃金総額からカット率を計算し、その全額を基本給からカットする(従って賃金単価自体が下落する)という信じがたいものでした。
(4)固定残業代
そして、Y社では、労働者募集の広告にはそれなりの賃金額を提示する一方、入社時に「採用・諸手当の取り決め」と題したA4一枚の紙に署名押印させ、その中に細かい文字で、広告で提示した賃金を基本給部分と固定残業代部分に割り振る旨記載していました。この書面は労働者に交付すらされず、労働者は気付かない間に募集時の賃金から大幅に減額された賃金で働かされることになります。そして、この固定残業代の引当額が計算上は47時間から77時間分にもなるものでしたが、会社側の計算でそれ以上の残業がある場合でも、別途の残業代は一切支払われておらず、固定残業代としての実態を欠く違法・無効な手当でした。
(5)天引きの数々
また、Y社は「弁済金」の名目で、毎月Xさんの賃金から数千円から多い月では3万円以上の控除を行っていました。これはXさんが引越の依頼主の荷物や建物のフローリング、壁紙等を傷つけてしまったとされる場合に天引きしていたもので、前述した賠償金と同様根拠がない上、証拠もなく、さらに賃金から罰金等を天引きすることを禁止している労働基準法24条に完全に違反するものでした。
派遣登録させ自社に派遣
さらに、Y社は、Xさんに対して、Z社(Y社のグループ会社)に労働者派遣の登録をするよう指導し、XさんがY社との関係で休日となる日に、Z社の派遣社員として自社に派遣させる、ということをやっていました。
Z社から派遣扱いされる場合は、本来はY社の休日労働であるため、賃金規定で定められた休日勤務手当の支払いが必要になります。また、労働基準法は使用者が異なる場合も労働時間を通算することになっているので、Z社からの派遣扱いの時に週40時間超の労働時間となる場合は125%の割増賃金を支払わなければなりません。しかしこれらはいずれも無視されていました。さらに、賃金単価自体がY社の社員として勤務する場合より下がる場合もあり、Z社においても労働者がランクで格付けされて賃金額が上下するという、信じがたい仕組みになっていました。
しかもY社とZ社の間では、労働者派遣法で要求される労働者派遣契約書すら作成されておらず、派遣契約が電話一本で決まるという、正常な企業間の取引としてはあり得ないものになっていました。
訴訟の進行と解決
(1)訴訟の進行
訴訟では、上記の債務不存在確認請求に加えて、追求の結果分かった賃金体系をもとに、勝手な減額により控除された賃金、固定残業代を無効であることを前提にした多額の残業代請求、天引きされた「弁済金」等の請求を行いました。
特にZ社を通じた勤務については、労働者派遣の前提が成り立たない(労働者派遣法は労働者と派遣先ユーザー企業の間に労働契約が存在しないことが前提となっていますが、Xさんは派遣先Y社の従業員なので、労働契約が存在します。)ため、派遣関係全体を無効として、Z社を通じた労働についても、未払残業代全額をY社に対して請求するとともに、Z社に対しても中間搾取の共同不法行為の責任を問うために、本来支払われるべき賃金と実際の支払額の差額を請求しました。
(2)解決
訴訟は2011年5月の提訴から2年かかって最後は和解交渉となり、概ね満足できる和解が成立しました。
最初、Xさんのお話を伺ったときは状況がつかめず、先が見えない中で提訴に踏み切らざるを得ませんでしたが、Xさんも、弁護団も頑張った結果、満足のいく結果が得られました。しかし、Xさんと同じ目に遭っている多数の労働者がいることは見逃せません。そして、このような賃金不払いを組織的に行う企業がのさばると、比較的まともな賃金を支払っている企業が価格競争で敗れ、「悪貨が良貨を駆逐する」状態になります。その先にあるのは労働条件の更なるブラック化です。大きな運動で、このような状態を根底から是正していく必要も感じました。
(担当弁護士:渡辺 輝人、谷 文彰)