まきえや

住友生命保険(経費負担)事件(京都地判令5.1.26)労働判例1282号19頁

第1.事案の概要

1 請求内容、争点等

本件は、住友生命保険相互会社(以下「被告」という。)の京都支社で、営業職員(保険外交員)の職にある原告が、(1)賃金から様々控除された営業費用約190万円(2012年10月以降分2018年12月分まで)を賃金請求または不法行為もしくは不当利得を根拠に、(2)また、同時期について、業務のみに用いている携帯電話料金約21万円を費用償還請求または立替払契約に基づく請求を根拠に、それぞれ請求したものであり、2019年7月31日に労働審判の申立をして、24条終了で訴訟に移行した。また、(3)訴訟係属中にさらに2019年1月から2020年3月分の賃金から控除された営業費用と(4)同時期の携帯電話代金について請求を拡張した。

原告と被告との間には、研修試補見習い、研修試補を経て期間の定めのない労働契約が締結されており、原告には被告の就業規則や賃金規定が適用されるが、請求期間については控除に関する約定は個別契約にも規則類にもない。別途委任契約を締結する等の形式を取り繕うようなこともされていない。

このように報酬の全額が明確に賃金=給与所得であるにもかかわらず、毎年、事業所得者として確定申告を求められており、この点だけでも所得税法に違反していると考えられる(所得税法204条2項参照。同条1項4号の「外交員」に該当しても給与所得者には1項は適用されない)。

被告は、各種控除については、賃金控除に関する労使協定や「勤務のしおり」という業務マニュアルにある「収入はすべて事業所得となります。営業活動費(企業への交通費等)は個人負担ですが、必要経費となり、確定申告時に年収から控除して申告することができます。」という記載があることをもって正当化している。なお、被告は、原審では、上記控除協定について、労働協約としての効果は主張してこなかった(控訴審ではしている)。

具体的には、これらの記載があることも根拠にして、試用期間(研修期間)終了後の正規雇用の契約締結時に、営業費用を原則として労働者である営業職員負担とする「本件合意」が成立した、と主張し、さらに、毎月、営業職員自らがタブレット端末を操作して控除にかかる営業用の物品を購入していることから、自由な意思に基づく「個別合意」が成立している、と主張してきた。

2 経費控除の内容

(1)携帯端末使用料(月額2,950円/ただし2018年6月まで)

営業職員が顧客に液晶画面を示しながら、保険商品の内容を説明したり、保険契約のシミュレーションをしたりする機械。被告から貸与され、使用するよう指示を受けている。2018年7月からは、保険契約自体を端末で行うようになった、という理由で、無償貸与になった。

(2)機関控除金

①募集資料コピー用紙トナー代2,000円/月。
②広告宣伝誌「Sumisei Weekly」(一部5円)、「オーナーズ通信」(一冊60円)の代金等。広告宣伝誌は、営業職員が営業に際して企業等の顧客に配布するが、被告が一方的に価格を設定する。

(3)会社斡旋物品代(以下はその一部を例示的に示したもの)

①営業職員が営業先に配布するロゴ入り贈答品(年末に配布する卓上カレンダー、バレンタインデーのチョコレート、企業訪問の理由作りのために企業に提供する一輪挿し用の生花や張り出し用の大型の単月カレンダー)
②被告がCSRとして行う(顧客の子らを対象とした)こども絵画コンクールの画用紙代、参加賞品代、応募作品をはめ込んだカレンダー代
③被告の広告を入れた『レタスクラブ』『ワッグル』などの定期刊行物
④一部の営業用の封筒、切手代等
⑤被告が企画する異業種交流会兼名刺交換会の顧客参加費(1人3,000円)

「会社斡旋購入物品代」は、主に被告100%出資子会社の住生物産株式会社から営業職員が購入したもので構成される。生協の宅配のようなカタログがあり、あたかも、労働者が自由意思で購入したかのような外形を取る。ただし、機関控除金に分類される広報誌も住生物産が提供したことになっており、機関控除金と会社斡旋物品代の費目の違いに質的な差はない。同社は登記簿上の会社の目的が「主として住友生命保険相互会社及びその従業員が業務上必要とする什器・事務用品・販売促進物品(タオル・ティッシュペーパー等)の販売・購入斡旋・在庫管理」となっており、斡旋物品の販売で毎年多額の利益を上げている。

3 携帯電話料金

原告は、自身の私的な携帯電話とは別に、業務用携帯電話を所持しており、これは上司への連絡や顧客への連絡にしか用いていない。

被告は、スマートフォン用の業務アプリを開発して保険外交員に使用させており、各外交員が業務のために携帯電話を使用していることを認識しており、またそれを指示している。

第2.判決の内容

1 判決の良い点

(1)認容された範囲

原判決では、直近の時期に原告が費用控除に抗議するなど、明示的に異議を述べていたことが認められる、として自由な意思がないとし、上記請求のうち(3)の時期に賃金から控除された営業費用19万3,542円の請求を認容した。また、(1)の時期については、定額を控除しながら何に使っているのか明細すらなかった募集資料コピー用紙トナー代については請求を認容した。

(2)他の案件にも関係する一般的判断で良い部分

原判決は、一般雇用原則に基づき、営業費用の原則的負担者が使用者であること自体は承認しているように思える。問題はその原則をほぼ無原則に労働者に転嫁できるという考え方である。

募集資料コピー用紙トナー代については、賃金請求権が時効にかかっている時期についても、過去10年分を不当利得として返還を命じており、範囲が広いのが特徴である。

2 判決の要旨

他の請求は棄却されているが、原判決の要点は、次のとおりである。

(1)「事理明白なものとは、労働者が当然に支払うべきことが明らかなものであり、控除の対象となることが労働者にとって識別可能な程度に特定されているものでなければならないが、労働者がその自由な意思に基づいて控除することに同意したものであれば、労働者が当然に支払うべきことが明らかなものに該当すると認めることができ、上記規定に違反するものとは言えない」(原判決40頁)。労使協定による労基法24条1項の適用除外要件「事理明白性」を労働者個人の「自由な意思」論に合一化し、労基法24条1項の論点を「自由な意思」論に解消して同条の要件を回避(争点1の判断)

(2)一般雇用原則を承認し営業費用の原則的負担者を使用者とする(原判決42頁の(2)イの第1段落)。労働者が負担した営業費用の費用償還請求権自体も承認していると考えられる(原判決43頁の(2)エ、54頁の6項)

(3)使用者が労働者に費用負担をさせてはならない決まりはなく、労基法89条5号の定めからすれば、「使用者と労働者との間の合意によりこれを定めることも許容される」(原判決42頁(2)イの第2段落)

(4)一審被告が主張する「本件合意」=営業費用の労働者への全面転嫁合意の主張を排斥(原判決41頁)。

(5)一審被告と一審原告の間の営業費用の個別負担合意について「控除の対象が、使用者から義務付けられ、労働者にとって選択の余地がない営業活動費である場合には、自由な意思に基づく合意とは言えず、賃金からの控除は許されない」とすること(原判決44頁(2)ク)。一審原告が提示していたにもかかわらず、山梨県民信用組合事件最高裁判決(最二小判平成28年2月19日民集70巻2号123頁)等の自由な意思についての先例を一切参照せず、労働者が明確に異議を述べない限り労働者の「自由な意思」を肯定。

(6)当てはめにおいて、一審原告が準備書面(5)以下で重厚に主張した、自由な意思がないことを基礎づける具体的事実を、争点整理でも当てはめでも摘示せず、検討すらしないこと(原判決44頁以下)。一方、一審被告は原審を通じて自由な意思の存在を基礎づける具体的事実をほとんど何も主張立証していないのに、原判決は易々と一審原告の自由な意思を認定していること。

原判決は、強行法規である労働基準法の中核をなす24条1項の賃金全額払いの原則について文言解釈を事実上無効化し、営業費用を賃金から控除することの是非を契約の自由一般論に解消しつつ、自由な意思論においても最高裁判例を無視し、当てはめの場面で、労使における使用従属性の徴表となる具体的な評価根拠事実を無視して、労働者に指揮命令下での日常的、連続的な個別の営業費用負担に自由な意思があるとすることで、自由な意思論も結局無効化するのである。

この特異な論理構造を支える基本認識は上記の(3)であり、より詳しく展開すると、
①「しかしながら、上記原則<註:営業費用の使用者負担の根拠となる一般雇用原則のこと>をもって使用者と労働者の個別合意により事業遂行上の費用の一部を労働者の負担とすることが直ちに排斥されるとまではいえず、むしろ労働基準法89条5号のように、就業規則によって労働者に費用負担をさせる場合があることを定めた条項が存在することからすれば、使用者と労働者の間の合意によりこれを定めることも許容されている」という判断(原判決42頁イ第2段落)

②「業務遂行費用の負担に関する個別合意は、違約金を定め、損害賠償額を予約する契約とは異なり、必ずしも労働者を身分的に拘束したり、労働者に過度な負担を負わせるともいえないから、個別合意をすることが直ちに同条の趣旨に反するとまではいえない。」(原判決43頁)という認識である。また、携帯電話代金の費用償還請求については、総論的には業務上の必要性を認めつつ、一方では業務専用の携帯電話を契約する必要性に疑問を投げかけ、一方では、原告の通話歴のごく一部に労働基準監督署への通話(被告の違法行為を通報するためのものである)があることを理由にして、業務上の費用と認めない、という全く矛盾に満ちた理由で請求を棄却した。

3 原判決の誤り(控訴理由)の要旨

以下の通りである。上記判決の理論構造の整理と番号が対応している。

(1)原判決が、労基法24条1項の論点を「自由な意思」論に解消して同条の要件を回避(争点1の判断)したのは法令の解釈適用の誤りがある。労基法24条1項の論点と「自由な意思」論の論点は別のものであり、別個に検討されなければならない。

(2)原判決は、一般雇用原則に基づく使用者の営業費用負担を承認しつつ、この負担を労働者に全面的に転嫁することについて肯定的であるが、その思考過程が全く没論理的な感覚的価値判断に過ぎない。その結果、「労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」最低賃金法を無視することになり、労基法24条1項を無視し、保険外交員(一審被告の営業職員)であっても給与所得者(労働者)は所得税法における必要経費の算入(所得税法204条2項、37条、28条2項)をできないことも無視し、労働者に責任がある損害賠償金(営業費用に他ならない)について使用者への逆求償を認めた福山通運事件最高裁判決を無視する。これらはすべて法令の解釈適用を誤ったものであるが、すべて原審において一審原告が指摘していたものであり、原判決の偏波性、独善性は甚だしい。

(3)原判決の価値判断を支えるのはわずかに労基法89条5号が労働者の営業費用の「負担」を認めている、という認識であるが、このような特異な見解を基礎づける学説も公権解釈も裁判例も皆無である上、基礎的な文言解釈も、労基法全体を見渡したうえでのあるべき正しい解釈も踏まえないもので、同法からの重大な逸脱を犯している。いうまでもなく、法令の解釈適用の誤りである。

(4)一審被告が主張する「本件合意」=営業費用の労働者への全面転嫁合意の主張を排斥したのは妥当であるが、その判断過程は、あるべき判断枠組みを踏まえておらず、非常に不十分なものであるから、判断の遺脱がある。また、一審被告の「個別合意」の主張は「本件合意」を前提としたものであるところ、適法な「本件合意」がない状態で、労働者が自由な意思に基づいて使用者の営業費用をわざわざ負担するのはよほどのことであるはずである。原判決は、この視点が完全に欠落しており、「本件合意」を否定したのに、あたかも「本件合意」が存在するかのように「個別合意」の認定、判断しているから、判断の遺脱がある。

(5)一審原告の「自由な意思」の有無を判断について山梨県民信用組合事件最高裁判決(最二小判平成28年2月19日民集70巻2号123頁)等の先例を全く参照しないのは判断の遺脱である。

(6)当てはめにおいて、一審原告が原審準備書面(5)以下で重厚に主張した自由な意思の不存在を基礎づける事実をほとんど摘示もせずに無視し、一方、一審被告は自由の意思の存在を基礎づける事実をほとんど何も主張立証していないのに、あまりに安易に、連々と続く自由な意思に基づく「個別合意」を肯定するのは到底看過できない判断の遺脱がある。自由な意思の立証責任は賃金からの営業費用の控除を適法だと主張する一審被告の側にあるが、その主張立証責任すら全く転換してしまっている。

第3.今後の方針

1 判決の良い点

双方が控訴しており、5月31日に第1回目の期日が指定されている。

労働基準法89条5号の解釈論については、控訴理由書でも詳細に記述したが、(1)同号の「負担」はそもそも使用者に対する労働者の債務の意味ではない、(2)同号は労基法11条「賃金の対償」の解釈論と一体になったもので、むしろ、作業用品を労働者の持ち込みにすることを労働契約の内容とすることを可能としながら、その損料を費用償還するのが当然の前提になっており、償還した費用が「賃金」に該当しないよう、就業規則に明示するよう求めたもの、という反論をしている(この点については労働法律旬報にも論文を書く予定でいる)。

自由な意思論や、信義則上の労働者への営業費用の転嫁禁止(特約の無効)についても、主張を補充するつもりである。労働者の業務費用負担については、研究者の議論の盛り上がりにも期待したいところであり、現に、次々と本件に関する評釈論文が出されている。

原審段階では、主張すべき事情自体は単体では大概していたが、審理期間が長期化したこともあり、別の書面でバラバラに主張して体系性を欠く部分があったし、やはり、立証の足りない部分もある。また、法律論は根本的に補充が必要だと思っている。携帯電話代金については、通話時間の記録が残っている時期があるので、代金(定額)を、時間割にするなどの工夫もしようと思っている。