自由法曹団2025年5月集会に先立ち、京都第一法律事務所の所属弁護士有志が、平和祈念資料館、ひめゆりの塔、辺野古基地建設予定地、ガマ訪問など、京都支部独自の沖縄戦の事前学習を行いました。今回は、ふたつの平和祈念資料館について報告します。
1 平和祈念資料館
沖縄平和祈念資料館は、沖縄本土決戦に至るまでの歴史の展示からはじまり、第2室では視点を変え、沖縄戦で犠牲になった住民の視点から戦争の様相を伝え、第3室では日本軍が南部へ撤退した後、米軍の掃討作戦によってガマと地上の両方で住民を襲った惨劇を再現パネルと共に記録し、第4室では、冊子形式で沖縄戦の体験を綴った展示がなされていました。
展示では、地上戦で犠牲になった方たちのご遺体が、無造作に積み重なっている写真もあり、見る者に衝撃をあたえる展示でした。沖縄戦の犠牲者は、20万656人と記録されていますが、数字の上でその数をみるよりも、遺体がただの物体のように積み重なっている姿を実際に見ると、死者数の数の重みがより痛烈に感じられました。
資料館の次に、「平和の礎」に参拝しました。眼前に空と海が広がる広場を中心に、刻銘碑が屏風状に並んだ風景は、資料館の惨状の記録とはかけ離れたような美しい空間でした。「平和の礎」は、国籍所属を問わず、すべての戦没者を弔うために建立されたもので、令和6年度時点では24万2567人のお名前が刻まれています。
犠牲となった方々は、戦死者という名のただの数字ではなく、確かにそこに生きていた名前のある人間であることを訴えかける場所でした。

平和祈念資料館

平和の礎
2 ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆりの塔は、生徒で構成され、1945年3月23日から、沖縄陸軍病院に学徒看護要員として動員された沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちの記録と慰霊の場所です。
展示では、動員前の生徒たちの手帳や遺品の展示から始まり、学校生活の様子を知ることができます。転校する友人にあてた寄せ書きには、端正な筆記で、応援のメッセージがつづられており、近隣の女子の憧れの的だった学校に通う女生徒らしい上品さとおしゃまさが伝わってくるようでした。
そのような生き生きとした展示が続きますが、経路を進んでいくにつれ、刻一刻と戦況が悪化し、卒業式の直後、3月23日に動員が始まり、過酷な看護の様子から、ついに6月18日の突然の解散命令以降、生徒たちが防空壕や地上をさまよい、次々と犠牲になっていく記録へと移り変わっていきます。
展示の終盤には、生徒たちの顔写真と周囲からみた性格、学徒動員後の動向が並んでいます。それらのほとんどの最後の一文は、「消息不明」でつづられています。これほどの多くの生徒たちが、最後は誰にも看取られることもなく、凄惨な最後を迎えたことが、非常に衝撃的でした。戦争が、人間の尊厳を破壊しつくすものであるという事実が伝わってきました。
3 おわりに
私は、平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館は、いずれも戦争をただのデータとして残すのではなく、犠牲になった方の人生を知ってもらうために作られた場所であると感じました。ネット上などでは、二つの資料館の記載の一部(主に沖縄戦での日本兵が住民に与えた被害の記載)を取り上げて、自虐史観をもとに作られたものであるといった意見を目にすることも少なくありません。不勉強のため、真実の歴史とは何かといった高度な議論についてはいけませんが、私にとっては、そのような正しさ如何よりも、そこで生きていた現実の人の哀しみが強く印象に残りました。
この沖縄学習を通じて、自分の所属する国や団体にかかわらず、すべての戦争や虐殺を否定する人間でありたいと改めて感じました。
4 沖縄旅行記
最後に、沖縄で出会ったおやつについて書きます。
ひとつめは、ブルーシールのアイスクリームです。アメリカ統治下の1948年創業、当初はアメリカ軍基地でのみ販売されていたものが、1963年に基地を飛び出して、現在は県民に親しまれるおやつになったものだそうです。同期と各種食べ比べをしましたが、どれも口当たりがなめらかでぺろっと食べられます。
二つ目は、沖縄バヤリースの石垣島パイン味です。1951年創業、沖縄で独自のシリーズ展開されたものの一つになります。居酒屋ではソフトドリンクの種類はどうしても限られてしまいますが、偶然立ち寄った沖縄の居酒屋にはバリヤース各種がそろっており、下戸の私にとっては、たいへんうれしい出会いでした。自宅でも飲みたかったのですが、本州では入手できないようで、また沖縄を訪れた際には飲みたいと思います。

ブルーシール

弁護士