弁護士を目指したきっかけは?
大阪府岸和田市出身です。高校は進学校でしたが、当時の私はマイペースで、昼に起きて登校する生活で明確な目標もなく、将来について深く考えていたわけでもありません。「つぶしがきくから」という理由で龍谷大学法学部に進学しました。
転機は大学3年、京都弁護士会が主催した学生による法律討論イベントへの出場です。チームで課題を議論して優勝した経験をきっかけに、学部生ながら法律事務所で4週間の研修を受ける機会を得ました。実際に弁護士の仕事を間近に見て、自由に判断し、自己責任で進める職業のあり方に「これは自分に向いているかもしれない」と、弁護士を目指しました。実際に学んでみると「理屈を積み上げる」ことは、自分の性格に合っていましたね。
大学卒業後は予備校に通い、旧司法試験に挑戦して5年目、28歳で合格。なお、浪人年数も試験の点数も合格した年齢もすべてその年の弁護士の平均値でした。「自分は、弁護士としては平凡なんだな」と強く自覚したのをよく覚えています。
「世の中を少しでもよくしたい」という思いが、労働や福祉に力を入れる京都第一法律事務所を選んだ理由です。実は、父は労働組合の活動家で、母は生活協同組合の活動に携わっていました。社会の仕組みや労働問題に関心をもつようになったのは、家庭環境の影響が大きいですね。
忘れられない、あの裁判
保育園裁判で、安直な民営化の問題点を明らかに

当時の経緯を記録した書籍、『先生、ボクたちのこときらいになったからいなくなっちゃったの? 子ども不在の保育行政に立ち向かう』(出版社/ひとなる書房 著者/「青いとり保育園一斉解雇事件」裁判原告一同、大倉得史、藤井豊)
2015年、京都市立病院の院内保育園「青いとり保育園」の裁判です。民間業者が、市立病院が提示した額よりも極めて低額の運営委託費で受注した結果、安心できる保育を提供できなくなりました。民営化の問題点が顕著に現れた事件でした。結果的に裁判は負けてしまったのですが、当時の経緯をまとめた書籍は、全国で同様の事件が起こったときに参考にされました。行政の政策に働きかける大切さを感じた事件です。
これからの目標は?
「保育・教育・福祉の分野を中心に 広い視野で活躍していきたい」

個々の事件解決はもちろんですが、それにとどまらず、問題の背後にある仕組みそのものの改善に関心があります。制度の矛盾があって、利用者が期待する内容が提供できていないとき、弁護士が関わることで少しでもよくできたらと。構造的な課題を見つけ、次の改革につなげる。そんな弁護士でありたいと思っています。

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