まきえや

弁護士として 50年

在会50年表彰

昨年、京都弁護士会で「在会50年表彰」を受け、日弁連で「弁護士50年表彰」を受けた。この50年は、京都第一法律事務所とともに歩んだ50年でもあった。

弁護士の世界には、上下関係・上命下服関係がないのが最大の特徴だと思う。そして、私たちの事務所には「ボス弁」も存在しない。弁護士会には「会長」は存在しているが、ポジションを解かれたあとは、同じ一弁護士に戻る。「元会長」には、何の権限もない。横の社会は本来のあり方だ。

「先生は、まだ独立しないのですか?」というお尋ねを昔何度も受けた。その都度「最初から独立していますよ。」と答えてきた。ともに仕事をする仲間はいるが、基本みんな独立している。独立と共働との結合が、強い力を生み出す源泉である。最近では、弁護士事務所も、何人もの弁護士を擁して共働で行う事務所が増えてきている。

50年の進歩と影

この50年いろんなものが変化した。良くなったのか、悪くなったのか、一概には言えないが、それなりに進歩していると思いたい。「暮らし」を良くしていくための様々なツールが開発されてきた。人権問題についても、次第に内容がともなうようになってきている。私自身、一定寄与してこられたことについては、それなりの自負がある。

しかし、日本社会は、大きな問題を抱えており、容易に打開の道が見いだせないのも50年を経た現在の真実である。

「司法反動」と闘って

もっとも身近な裁判についてはどうだろう。50年前、私が弁護士として出発をする修習修了式の日、友人の阪口修習生が、突然罷免された。その少し前、志を持って、平和と人権を守り抜きたいと考えていた友人たちが、裁判官の採用を一方的に拒否された。裁判所が、大きく右に舵を切った瞬間である。そして50年、日本の裁判所は、時の政治権力に対し、物言わぬ裁判所になっていった。裁判所の「体質」は、世界を見渡しても、現在もなお誇れる存在とは言い難い状況にある。

小見出しに「司法反動」という言葉を使ったが「それって何」という反応しかないと愕然としてしまう自分がいる。

遅い裁判から拙速な裁判へ

50年前の裁判は、遅かった。「いつ判決が出るか分からないから、早く和解で解決した方が良い」と、当の裁判官が公然と述べるのだから、あきれた。それが次第に改善されるようになってきた。しかし、今度は、スピードをあげるために、必要な審理を省略するという新たな問題に遭遇することとなる。少ない裁判官で審理だけ急がせても、それは無理だ。日本という国は、裁判に国家予算を使わないことで世界的にも有名である。この間、「司法改革」が試みられたが、小さな消極的な裁判所を変えるには至らなかった。次世代に積み残した大きな課題というしかない。

自由に乏しい国

一番残念なことは、日本という国では、自由が大きく強くならないことである。「日本は自由な国だ」ということを平然とマスコミでコメンテーターが述べるが、そうとは思われない。日米安保への親和性の強さや朝鮮・中国への敵対心、政権批判への及び腰、など巨大メディアに共通している。共産党が、どれだけ良いことを提案しても実行しても、それを持ち上げる人は、まずいない。テレビは、どのチャンネルを回しても、同じようなコメントで満ちている。新聞も、記事の内容は、大きく異ならないことが多い。

SNSという新たな表現のツールは、「誹謗・中傷の渦」の中で、そのありようが問われている。

これから

50年を経て、改めて重要だと思うことは、自立心を養い、自由な発言・発信を活発にしていくことであり、それが展開できる社会を創っていくことだろう。学校教育は、これを教えない。そして社会に出たら、そんたくすることばかりを強要される。さて、どうすれば良いのか。私自身にも、まだ、考え実行する機会は残されているのかも知れない。

京都弁護士会の表彰は、50年が最後だが、日弁連は、60年表彰がある。次の10年をどんな風に生きていくのか、ひょっとすると、人として弁護士としての一番の真価が問われる時なのかも知れない。

「まきえや」2022年春号